気がつけば人生後半に入る
このブログを始めた時は30代後半だった。
仕事も友達も金も全て失った時だった。
30代後半までの自分の人生を悔やんでいた。
自分で自分の人生を切り開いていかなったことに。
今振り返っても、30代後半までの僕は、自分の人生に無責任だった。
そこからしばらくは、自分の人生に責任を持てるようになったとは思う。
自らで切り開いていくしかないと今は心から思っている。
僕はそろそろ40代後半に差し掛かろうとしている。
人生後半に入る。
50代になっても、僕は社会から必要とされる人材になれているだろうか?
僕は、40代後半になっても、おそらく40代後半に相当する経験やスキルは不足しているように思うことが多い。だから、必死に不足したところを埋めようと仕事を通じて努力している。
50代でも価値がある人材になっていたい。
その50代までもカウントダウンの年齢に差し掛かる。
この数年間は、必死に仕事をしてきた。
そして、マネジメント経験やスキルは失敗や成功を通じて身についたと思う。
このタイミングで一度転職エージェントに登録して、市場価値を判断してもらおうと思う。会社での評価と市場価値は異なることが多いので。
40代になって初めて貯金をはじめようと決意した理由
僕はこれまで貯金をしたことがない。
今も銀行口座には残高がわずかしかない。
30代後半で仕事を失ったとき、確かにわずかではあるが「貯金」はあった。
ただ、それは、意識した貯金ではなかった。
新たな仕事が決まらない中、そのわずかながらの貯金も底を尽きた。
運よく、新しい仕事に就くことはできたが、生活するのにギリギリの収入。
税金や保険料、住居代、光熱費やインフラ代を払えば、ほとんど残らない。
そのため、今は貯金がない。
40代になった今、貯金を決意した。
理由は、いつかくるかもしれない仕事を失ったときに、生き延びるため。
僕はこのブログは、30代後半に仕事を失い、お金を失い、友人も失い、健康な身体以外の全てを失ったところから始まった。そして、人生再起を目指して、自身を振り返ったり、様々なことを吐露してきた。
今の僕は、一応の仕事には就いている。まだ、お金はなく、友人もいない。だけど、30代後半の全てを失った時に比べれば、自分の人生への失望感はない。
しかし、自分の労働市場価値などを考えると、危機感や不安感はある。
もちろん、だからこそ今の仕事を通じて少なくとも徐々にでも成長しようと自分なりの努力はしている。
それでも、僕は40代だ。これから先、仕事を失う可能性はある。
企業に勤めていれば、雇用調整の対象者として優先度が高まる年齢になってくる。
雇用調整が今、新型コロナを発端とした不景気においても様々な企業でも起こっているし、今後も増えていくだろう。
たまたま、今回は僕は雇用調整の対象者にはなっていない。
しかし、いつかくるだろう次の不景気の際には、真っ先に対象になる年齢だろう。
その時に生き延びるために、労働市場価値を高めることと合わせて、貯金が必要と改めて気づかされた。
ある程度順調にキャリアを重ねてきた人からすれば、「40代にもなって貯金がないなんて信じられない」と思うかもしれない。
しかし、30代後半で全てを失った僕にとっては、一般的な40代と違って人生の周回遅れの状態。貯金もようやく今から改めてスタートするしかない。
今後は、貯金の記録についても書いていきたいと思う。
新型コロナウィルス不況で問われる労働市場価値
新型コロナウィルスの感染が止まらない。
人口10万人あたりのPCR検査数が以下の通り、極端に少なくて、感染の実態が分かっていないところが一人の国民として不安なところだ。
10万人あたり190件と検査母数が少ないから、完成爆発は決して起こらない。
「完成爆発には至っておらず、自粛による効果は見られる」という専門家や政府の評価は、余り信じられない。
今、最優先事項は、新型コロナウィルスの感染を止めること。
しかし、同時に経済的影響についても考えなければならない。
新型コロナウィルスの経済的影響について考えるとは、僕自身が労働市場で残っていけるかを考えるということだ。
労働市場ので生き残りを意識するのは、このブログを書き始めたきっかけが、30代後半で仕事を失ったことだったからだ。
僕は、今40代前半だが、年齢に相応する労働市場価値がないという認識だ。
30代後半でクビになり、転職活動に苦しんだベースには様々あるが、年齢の割に経験やスキルが不足しているという点が大きかった。
ushinattta.hatenablog.com
転職できた際には、労働市場価値が低い認識があったあため、この5年近くは、自分たりには労働市場価値を高めるために仕事を通じて の成長には取り組んで来たとは思っている。
しかし、同じ40代前半の人たちと比べてると、自分は同世代と同じかそれ以上の労働市場価値がある状態になっているかというと、そうは思えない。
確かに、2015年時点よりは、価値に差はなくなったかもしれない。
ただ、もし、自分が会社の人員整理をする立場だったとしたらどうだろう?
自分は、継続して雇用される側ではなく、クビを切られる側にまだいると思える。
40代ともなれば、組織においては、課長や部長などのマネジメント経験が豊富で、人・モノ・金・情報を駆使して、組織としての結果を出し続ける能力が必要だろう。
また、もしマネジメントラインでなかったとしても、圧倒的なプロフェッショナルとして結果を出し続けた経験や能力が必要だろう。
僕はどうだろう、マネジメント経験はあるけれど、豊富かと言えばそうでもない。・モノ・金・情報を駆使して、組織としての結果を出し続ける能力も開発中だ。
もし、自分が再びクビになった時、自分自身だけで稼ぐ力が備わっているかというと、まだないように思う。
稼ぐ力が不足していることは5年前に認識していて、稼ぐ力を身に助けることは意識はして今も働いてはいるけれど、今の会社環境を使って稼ぐ力の開発になってしまっている。
コロナ不況で、自分が再びクビを切られるかもしれない。
今の仕事に集中することは引き続き変わらないけれど、改めて、自分の市場価値の棚卸しをするところから始めたいと思う。
人との接触8割減策に改めて気付いた友達がいないこと
新型コロナウィルスの感染防止のため、緊急事態宣言が発令され、人との接触8割減に取り組み始めて1ヶ月。
僕が勤務する会社でも全面在宅勤務なった。
初めの頃は自宅のネット環境によって、オンライン会議などが不安定になったり、社内ネットワークに入れなかったりと小さなトラブルはあった。
だけど、今は解消し、自宅で仕事をすることにも慣れてきた。
これからの働き方として、基本在宅で週に1日か2日を出社という形になる可能性を感じている。
世界中で同じ問題が短期間ではなく、長期間発生するという人生の中でも初めてのこと経験していて、これにより人々の生活スタイルがきっと大きく変化していくのだろう。
働き方、コミュニケーション、物の購入などに関連するサービスがどんどん出てきそうだ。
僕は、外出自粛を徹底してる毎日を過ごしている。
食料や日用品などの買い物は、出かける頻度を3日に1回以下より少なくし、外での運動は買い物に出かける時に合わせ行うことに限り、あとは自宅で過ごしている。
外出した際も、ソーシャルディスタンスは、どんな場面でも常に2メートルとしている。スーパーでの買い物もセルフレジを使うようにしている。
そのため、僕は、人との接触を外出自粛前より9割以上減らせている。
おそらく、政府や自治体からすれば模範住民なんだと思う。
ただ、僕が人との接触を9割以上も減らせているのは、仕事以外で接する友達や仲間がいないためだ。
そう。僕には友達がいない。だから、仕事を在宅勤務にし、買い物での接触を減らせば、それだけで人との接触9割以上(限りなく10割減)を達成することができるのだ。
僕は、仕事も金も友達も人脈も全て失った2014年の年末。
2014年の年末からの変化は、今は仕事がある点だ。
2014年の人生のどん底感からすれば大きな変化だと思う。
しかし、友達は5年以上経っても一人も作れていない。
これは僕に問題があることもわかっている。友達が欲しいと言いながら、具体的なアクションを起こせていないからだ。
例えば、僕の趣味は映画鑑賞で、実際に映画館での鑑賞も多く、新作も早めにチェックしたい方だ。
だけど、では映画が趣味の人たちと出会ったり繋がったりするために何かアクションを起こしたかと言えば全くしていない。一人で楽しんでいるだけだ。
結局、友達を求める優先順が高くないのでは?と考えることもある。
しかし、新型コロナウィルスの影響で、家で過ごしていると、気軽に話せる友達がいればいいのにと心底思う。改めて自分には友達がいないことを気付かされ。僕は、友達を欲している。
趣味の映画でなくても、なんでもいい。他愛のない話をする友達を作りたい。
友達を作ること。
それは僕の人生再起に欠かせない要素であることを改めて気付いた。
2016年→2020年 人生再起の途中
前回、最後にブログを書いたのが2016年9月。
3年半ほど時間が過ぎた。
僕は、2016年9月時点で外国関連の仕事に就いていた。
しかし、会社の本業の業績悪化により事業縮小となり、2016年の年末に再び仕事を失ってしまうことになる。
再びキャリアは寸断され、人生再起の道を絶たれてしまった。
こんなはずではなかった。
しかし、僕は以前の僕より成長していた。
仕事も友達もお金も全て失った中で、見つけた外国関連の仕事。
僕には、なりふり構わず取り組む必死さがあった。
2年間ほどの仕事だったけれど、僕は、僕は必死に働き必死に勉強した。
30代後半の僕は、新卒の時と同じように、いやそれ以上に必死になった。
誰よりも量をこなし、誰よりも質を求め、誰よりも学びアウトプットし続けた。
僕は命以外に失うものはなく、働けるというチャンスが愛おしく、働けることを大切にするために必死だった。
2年間、必死に働き学び続けると、僕が思うよりも能力は高まっていた。
再び仕事を失い、僕は再び仕事を探しを初めた。
キャリアが一直線出なかったり、キャリアが分断されている僕を書類で落とす会社もあれば、面接で落とす会社もたくさんあった。
しかし、僕には2つ確信があった。
・2年間必死に働き学び続けたことで身につけた能力と経験。
・このブログを通じて、こんな僕でも評価してくれる人がいることを知ったことで、きっとどこかで僕を採用してくれる
2016年、2017年は、採用市場は中途採用も売り手になり、これまであった転職35歳説もなくなりつつあった。
このような背景もあり、僕は人材サービス関連の会社に採用されることなった。
2020年の今、40代になった僕は、その会社で今も働いている。
このブログのテーマの人生の再起はどうなったか?
結論は、2020年5月時点、人生の再起は途中だ。
これから、人生再起の記録を再び記録していきたいと思う。
なぜ僕らは会社のオフィスに毎日行くのか?
今の仕事は、海外出張があったり、国内でも直行直帰になることが多く、会社のオフィスに出勤しない日が割と多い。月間で平均すると週に2日しか出勤しないこともある。
オフィスへ出勤する日は、主に上司や同僚と打ち合わせや来客対応だけで、基本的に作業はしない。
オフィスに出勤しない場合も、必要であれば、外出先や自宅からSkypeやLINE電話で打ち合わせはするので、コミュニケーション不足ということはない。
社内環境にアクセスできるPCを持ち歩いているので、資料作成は家でやることが多い。もちろん業務時間中に。
誰からも声を掛けられないので、資料作成の効率は非常に良い。
資料の出力は、会社で行うこともあれば、コンビニでも出力している。
なんだかんだで、会社のオフィスに出勤しなくてもに仕事は進んでいる。
しかし、僕がこのような働き方になっているのは、「業務の性質上やむを得ない」ためだ。会社の中でも限られた人にだけ許可された働き方だ。
つまり、同じ会社の多くの人たちは、毎日会社のオフィスに出勤している。
台風や大雨や大雪などで電車が止まったり大幅遅延しても、会社のオフィスに向かうことを求められる。もちろん酷暑であっても。
でも、実際はオフィスにいても、毎日打ち合わせがあるわけではなく、黙々と作業をしていたり、電話で外部の人と話している時間の方が多い。
PCや携帯電話など必要なツールさえあれば、家でもできる仕事がほとんど。
だからこそ、湧き出る「なぜ、会社のオフィスに毎日行くのか?」という疑問。
IT機器があることで、本当は会社のオフィスに毎日行かなくても仕事はできるけど、以下のことを理由に、会社は会社のオフィスに来ることを求める。
- 会社外でPCを使うのはセキュリティ上の問題やPC端末管理上の問題がある
- 会社にいないと働いているか分からないから労務管理上の問題がある
ただ、上記は本当は解決できる問題だけど、会社は従業員を監理・監視したいという思惑があるから、上記を理由に必ず会社のオフィスに来させたいのだろう。
監理者側としては、オフィスに来させるのが最も効率的だから。
会社に雇用されるということは、監理されるということなのかもしれない。
仕事を効率的に進めるためというより監理されるために、僕らは会社のオフィスに毎日行かなければならないのだろう。
これに従わないと働いたことにならず給料は貰えない。
ただ、いくら会社が監理・監視のために、従業員を会社のオフィスに来させたいにしても、台風が来ていたり、大雪で電車が止まっていたり、大幅遅延しているのに、無理して会社のオフィスに来させる必要があるだろうか?
更には、35度を超える酷暑で「できるだけ外出を控えるように」と注意が出ているのに、会社に来させる必要があるのだろうか?
むしろ、このような出勤しにくい状況の時にこそ、出社させて会社への忠誠心みたいなものを計ろうとしているのだろうか?
そこにどんな意味があるのだろうか?
意味はないけど監理しておきたいのだろうか?
効率性や生産性だけを考えれば、出勤させずに家で定時に仕事を始めたら方がよっぽどだと思うけど、そうはしない。仕事の効率性や生産性よりも監理することの方がよっぽど大切なんだろうなと思う。
海外の人と仕事していて個人的に感じている思うのは、日本人は多くの海外の人に比べれば真面目に働く方なので、監理しまくらなくても、効率性や生産性を優先すれば、もっと業績上がるんじゃないかと思う。
気が付くと諦める人になっていたことに気が付いたリオオリンピック
リオオリンピックで日本は過去最多の41個のメダルを獲得した。
時間が合う限りLIVE観戦してたのだけど、その中で、気付かされた試合があった。
【NHKリオ】苦難の末の史上初4連覇 伊調馨 レスリング女子58キロ級
僕は、伊調馨選手の決勝をLIVEで観戦していた。
前人未踏のオリンピック4連覇がかかった試合。
伊調選手は、先に1ポイント先取したものの、その後相手選手に2ポイント取られ逆転されてしまう。
試合は、そのままのポイントで残り1分となり、残り30秒となった。
僕は、試合を観ながら「ああ、負けか・・・4連覇ならずか・・・」と諦めていた、その時、試合は残り10秒ほどだったと思う。
しかし、伊調選手は残り5秒でポイントを獲得し逆転、そのまま試合終了。伊調選手は、金メダル獲得とオリンピック4連覇を達成した。
僕は、伊調選手の金メダルを興奮の中で喜びつつ、自分がいつの間にか諦める人になっていることに気が付き、そのことに恥ずかしさがあった。
残り10秒しかないと僕は思い、伊調選手の負けを確信していた。一方で、伊調選手は残り10秒を決して少ないと思わず、諦めずに攻め残り5秒でポイントを獲得した。
僕は、いつの間にか諦めるポイントを自分で決めてしまっていた。
試合はまだ終わっていないのに。
漫画「スラムダンク」でも安西先生は「諦めたらそこで試合終了ですよ」という名言を残している。
僕は、そんな試合が終わっていないのに諦めてしまう大人になっていた。
過去の自分を思い返すと「最後まで諦めずにやる切る」ことを昔はやれていた。
少なくとも20代前半くらいまでは出来ていたと思う。
しかし、昔やれていたことを今の自分は出来ていない。
少ない人生経験の中で、ある時点で「ここが諦めポイント」と勝手に自分で決めて、諦めるようになってしまったのかもしれない。また「諦める」ことを自分に正当化していたようにも思う。「諦めも肝心」などと言って。
僕は、伊調選手のリオオリンピック決勝戦で大きな衝撃を受けた。
「終わるまで諦めずにやり切る」という極めてシンプルなことを、シンプルに取り組むことの大切さを教えてくれた。
終わるまで諦めずにやることで、僕の人生にも好転のチャンスが生まれるかもしれない。逆に、終わる前に諦めてしまえば、それだけ僕の人生の好転のチャンスは少なくなうということだ。