人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

バブル時代を経験してみたかった

 

高校の設立○周年のため、地元神戸へ帰った。

前日入りしたので、懐かしの街を散策してみた。

僕の育った街は、神戸にある人工島だ。

東京で言うなら、お台場と言えばいいだろう。
育った街に配慮しておくと、僕の育った人工島を参考にお台場の街が作られた。

 

日本の高度成長期からバブルにかけて、神戸の中でも最も人口が増え、最も勢いがあって、最も活力があった街だった。

貿易港である神戸の名前にふさわしく、国際色豊かな街で、街では週末になると、様々な国のイベントが開催されたり、国際会議なども開催されていた。

僕の通った神戸市立の小学校には、外国人留学生が何人も実習に来たり、諸外国の人たちが交流に訪れたりと、外国人は身近な存在だった。

 

僕はこの街で1980年代と90年代を過ごしたのだけど、今でもこの街に来るたびに思い出すのは、子供なりの「バブル時代」のことだ。

 

僕がこの街に引っ越してきたのは、1980年代後半だった。

阪神タイガースが日本一になり、ただでさえ、関西地区がお祭り騒ぎなのに、そこへバブル景気もあって、街は「熱狂」状態だった。

その熱狂は、小学生だった僕にも強烈に記憶に残っていた。

例えば、1985年に阪神タイガースが日本一になったお祝いということで、街では阪神タイガースグッズが無料で配られていた。しかもグッズというのは、例えばインテリアランプといったちょっとした電化製品だ。

子供心に、インテリアランプが決して100円や200円で買えない代物であることは、わかっていた。だから無料で配られることに「違和感」を感じていた。

だけど当時の僕は、「日本一になるということは、こういうことか」と思い、無料でもらったインテリアランプを家に持って帰って部屋に飾った。

 

阪神タイガースが日本一になったお祭り騒ぎは収束したけれど、その後の街の勢いはすごくあった。景気がよかった。

街の真ん中にある広場では、週末になると「錦鯉の品評会」があって、即売もされていたのだけど、一匹100万円という鯉もいて、小学生の僕には天文学的な数字で、その高さがよくわからなかったけれど、そんな鯉も必ず売り切れていた。

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同じ広場で車の販売会も頻繁にあったのだけど、「⚪︎⚪︎様ご購入」という札が車に何枚も貼られていて、逆に札が貼られていない車を探す方が難しく、友人と札が貼っていない車を見つけては、「売れていない車みつけた」とその逆プレミア感を喜んでいた。

 

広場の近くにあった空き地には、10階建てくらいのビルができた。

そのビルは、各国の料理店など高級なお店ばかりが入った総合飲食ビルだった。

エントランスを入ると、天井が吹き抜けで、人口の滝があり、噴水もあった。
ライトはあえて薄暗くした落ち着き感で、大人のためのビルという感じだった。

小学生の僕は、友人と探検ごっこと言っては、そのビルに入って、上から下までお店をチェックし(店の中には入れないから入り口にあるメニューを見るくらい)、「フランス料理」とか「スペイン料理」とか、それまで馴染みのない国の料理に興味津々だった。どの店もいつも賑わっていた。

 

その中でも、印象深く記憶しているのが、ビルの1階にあったアメリカンフードの店。
「アメリカンフード」って何だ?と思うかもしれないけれど、そう書いてかった。

 

アメリカンフードの店は、オープンテラス式で、他の店に比べても特に賑わっていた。

小学生の僕は、アメリカと言えば「でっかいステーキ」「サラダボールのようなサラダ」というイメージだった。食事の量がとにかく多いということを、アメリカに旅行に行った友達から聞いていた。

しかし、そのアメリカンフードのお店は、肉ではなくシーフードの店だった。

そして、そこでは「ロブスター」をハンマーで割って食べるスタイルを提供していた。

オープンテラスの席で、みんなハンマーでロブスターを割りながら、楽しそうに食事しているそのシーンは今でも目に焼き付いている。

客層は、お兄さんやお姉さんたちで、今思うと、社会人1年目〜3年目くらいの人たちが中心だった。

僕は、ロブスターを食べてみたい羨望より、ハンマーでロブスターを割ってみたい好奇心でいっぱいだった。一緒にいた友人も同じだった。そのあたりは、僕は、小学生だった。

ただ、楽しそうに食事する、社会人1年目〜3年目のお兄さんたちが、とにかく目に焼き付いていた。

 

そして、バブルは弾けた。

バブルが弾けたということを、僕は直接誰かから聞いたわけではないけれど、これまでとは違う状態になってしまったことは理解していた。

バブルが弾けたというニュースを聞いてから1ヶ月後位あの飲食店ビルに行ってみると、既にあのロブスターを出すアメリカンフードの店は閉店していた。その他にもいくつかのお店は閉店していた。

そして、また数ヶ月後に行ってみたら、今度は、ビルの中の噴水が止まっていた。店も更に閉店していた。

その数ヶ月後には、ほとんどの店が閉店し、ついにはビルが閉鎖された。

それから、更に数ヶ月後、そのビルは解体された。

まるで「バブル」という言葉そのままだった。

突如できて、突如消えたビル。

時々、そんなビルは最初から存在しなかったと思わせるぐらい、あっという間の出来事だった。

 

久しぶりに訪れた、その飲食店ビルがあった跡地は、空き地のままだった。

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バブル時代というと、みんなが狂っていた時代と言われる。

だけど、今思うのは、自分もバブル時代を経験してみたかったということ。

 

僕が大学を卒業して、初めて入った会社の上司はバブル時代の入社だった。

青田刈りで、内定後に内定者全員がアメリカ研修と称して、他の会社に取られないように隔離する旅行があったと言っていた。

会社の懇親パーティーの懸賞品に200万円くらいが普通に使われていたと言っていた。

ボーナスは、今では信じられないくらいの額だったと言う。

 

僕が日本の歴史の中で、行ってみたい時代は「バブル時代」かもしれない。

僕は、仕事でアジアの国と関わることが多いのだけど、多くのアジアの国が「バブル」と表現するかは別にして、昔の日本のバブル時代に近い景気だ。

 

「頑張れば報われる」「給料が必ず増える」「明日が今日よりも良い暮らしになる」

国全体に勢いがあって、活力がある。

 そんな時代。

 

自分が、バブル崩壊後の超氷河期時代に就職したとか、景気が悪い時代に若い時代を過ごしたということを、決して恨んではいない。それでも、近所の国で、バブルに近い状態にいる仕事仲間の話を聞いていると、バブル時代のその中に身を置いてみたくなる。

ちょっとくらい、バブルに酔って、みんなで狂ってみたいなと思う。

あの時のロブスターをハンマーで割りながら、楽しそうにしているお兄さんやお姉さんたちと同じことを、経験してみたかった。

 

とは言え、今目の前にある現実を避けるわけにもいかないから、また明日から今できる事とやるべき事に集中して頑張ろうかと思う。

 今週のお題「行ってみたい時代」