話せば声が出ることの愛しさを知った30代後半
「今年は、勝負の年だ!」と意気込んで仕事をスタートしたのだけど、1月2週目に喉を痛め、声が出ずらくなった。風邪ではなく、空気が乾燥していて喉をやられたようだ。
冬になり空気が乾いた中をランニングしていたのが、もしかしたら喉に悪かったのかもしれない。
いずれにしうても、新年早々いきなり出鼻をくじかれた感じだ。
しゃべらずには仕事もできないため、病院で薬を貰い、騙し騙し仕事をしていた。
少し良くなったと思ったら、また声が出にくくなっての繰り返しだった。
そしたら、1月末についに声が全くでなくなってしまった。人生で始めて「声が全くでなくなる」という経験をした。口から出るのは、かすれた空気の音だけだった。
その時の様子は、まるでスターウォーズのダースベイダーのようだったと同僚は言う。
スターウォーズファンの僕としては、願ってもないことだが、ちょっと洒落にならないくらいの状態だった。
外部との打ち合わせは、事情をメールで伝えたり、同僚に代わりに電話で伝えてもらって、全てキャンセルした。社内の打ち合わせも極力延期してもらった。
2月に予定していた海外出張の予定ももちろんキャンセルした。
メールでのみ進められる仕事や、作業に集中したりして、喉を使わずに過ごし安静にしていた。それでも、会社にいると同僚に声を掛けられ、そのため声を出そうとするシーンがあり、そのたびに咳き込み、状態が悪化する。
だから、会社からしばらく在宅勤務の許可をもらった。
会社のネットワークには社外からもアクセスできるから家でも仕事はできる。
初めてIT機器の進化の恩恵をダイレクトに受けた気がする。
家で絶対安静にしていれば、すぐに快方に向かうだろうと思っていた。
しかし、1週間経っても全く声が出ない。むしろ良くなる気配すらない。
喉に限らず、これまでのたいていの病気は1週間もすれば完治していたので、全く良くならないことに焦ってきた。いつもなら治っているはずなのに。
そして、声が出ないというのは、僕を更に不安な気持ちにさせてた。
ふとシャ乱Qのつんく♂が、声帯全摘出をして、声を失ったことを思い出した。
つんく♂は僕らの前では気丈な姿を見せているけど、きっと本心は不安で仕方がなかっただろう。ましてやつんく♂はミュージシャンだ。おそらく声を失うことに絶望感もあったに違いない。
そんなことを考えながら、昔レンタルしてPCに取り込んだシャ乱Qの曲を引っ張りだしてきて、つんく♂の歌声を10年以上ぶりに聴いた。それほどシャ乱Qが好きだったわけでもないけど、つんく♂の歌声を二度と聴けないかもしれないと思うと、つんく♂の歌声がこれまでと違って愛おしく感じた。もっとつんく♂聴きたいと思った。
そして、自分の声の事を考えた。自分が知っている自分の声は、決して好きではなかった。だけど、声が出なくなって10日近く経ち、自分の声を聴きたいと思ってきた。
決して好きではない声だけど、聴きたくなった。
声が出なくなって12日目の朝起きると、声を出せた。ついにやっと。
僕は確かめるように、「あ・い・う・え・お」と丁寧に声に出す。丁寧に声に出したつもりだけど、音階が変だった。
それでも、自分の声を聴けたことが嬉しい。決して好きな声ではないのに。
そして、話そうと思ったら自然と声がでることに感動し、そのことを愛おしいと思った。当たり前のことへの素直な感動があった。「ああ、声が出てる」と。
今回の喉を痛めて声が出なくなった件があって、喉をいたわるようになった。
30代後半にもなると、どこかが悪くなることはあるし、悪くなったら治りにくくなる。
そんなことを痛いほど知ったので、日頃のメンテナンスを大切にしていきたい。