人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

テロが引き起こす本当の怖さ

 

2015年11月13日(金)に、フランス・パリで当時多発テロにより120人以上が犠牲になる事件が起こりました。

犠牲になった方々とそのご家族への哀悼の意を示すと共に、被害に遭われた方々へお見舞い申し上げます。

 

僕は、仕事で11月13日までパリにいました。
13日の午前中にパリを出発し、14日の早朝にシンガポールに着きました。
テロ事件のニュースは、機中で知りました。

テロの現場は、僕が宿泊していたホテルからおそらく500メートルも離れていない距離で、現場はパリ滞在中に何度も通った場所です。

僕が巻き込まれた可能性もゼロではなかったわけです。

決して遠いヨーロッパの話ではなく、個人的にもショックなニュースです。
 

 

テロが発生した背景は、「フランスがシリア攻撃に加わったからだ」とか、「アメリカがイラクに攻め入ったからだ」とか、いろいろ言われています。

いずれにしても、「やられたから、やり返す」という図式です。

シリアやISから「いつかきっと、やり返されるだろう」ということは、僕の頭のどこかには常にあったように思います。

そして、なぜ、やり返す先がパリだったのか?
その理由を想像することは簡単にできるけれど、想像ゆえに想像を超えない。
そして想像の理由は、容疑者の意図を勝手に作り上げてしまうことになりかねない。

だから、なぜパリだったのかということについては、想像までにして、言葉にはしないようにしようと思います。

 

その代わり、テロが引き起こす本当の恐さについて書こうと思います。

爆発だったり、銃などの手段で一般市民を巻き込むテロ。
今回のパリでのテロも、爆弾と銃の乱射の両方によるものでした。

事件直前まで現場の近くにいた者としては、「怖い」の一言です。

しかし、テロの本当の怖さは、その事件の瞬間ではなく、事件後の人々の心境の変化ではないでしょうか?

 

この話をする上で、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロでの僕の経験が最も良いサンプルになると思います。

 

僕は、アメリカ同時多発テロが起きた日、ニューヨークにいました。

そして、ワールド・トレードセンターへの航空機の激突と、ビルの崩壊を目の当たりにしました。今でも目に焼きついています。

僕は、世界最大の都市へのテロ攻撃のその瞬間に、そこにいました。

僕は、異国へのテロだったにも関わらず、テロへの怒りという感情は帰国後に少しずつ大きくなりました。そして、その怒りの感情は、イスラム教徒へ向くようになりました。
もちろん僕は、その怒りを具体的な行動で出すことはしませんでした。

だけど、少なくともイスラム教徒に対してよい感情は持たなくなりました。

イスラム過激派だけなく、イスラム教徒全体に対して。

僕は、それまでもいくつかの国を旅して、それぞれの国で宗教に触れる場面はありました。むしろ、僕の旅は文化や宗教や価値観に触れることが目的で、日本との違いを感じを面白いと思ったり、不思議だと思ったりしました。

だから、僕は自分では、宗教というものを多少なりとも理解しているつもりだったし、それぞれの良さみたいなものも、いろんな宗教に行く先々で触れることで、多少なりとも理解しているつもりでした。

しかし、アメリカ同時多発テロの後、僕はイスラム教徒に対して、負の感情を持つようになりました。そして、それはアメリカ国内ではもっとあからさまにあったようです。
そして、負の感情が実際の行動に移されたシーンが沢山ありました。

 

テロの本当の怖さはここにあるように思います。

テロを実行した犯人の所属に対して憎悪の感情を持つようになる。
あたりまえかもしれませんが、本当に怖いことです。

犯人への憎悪ではなく、犯人も含めた人種や宗教、そして国への憎悪となる。

シリアで空爆を受けた人たちも、実行した本人ではなく、所属している人種や宗教そして国に憎悪の感情を持つ。

そして、負の連鎖が始まる。

テロには戦争のように、降伏とか、制圧がない。
テロは発生時点で終わりではなく、次の憎悪の始まり。
決して終わりのない連鎖。

どうすば、解決できるか?

今の僕には分からない。

 

しかし、僕は今、偶然なのか必然なのか、外国人医師や看護師・介護士に日本で働いてもらうための仕事にも関わっている。外国人の中にはイスラム圏の人たちも含まれる。

イスラム圏の人たちも含めて、外国人が働きやすい環境を用意するためには、どうすれば良いか?日本の病院や介護施設はどんな努力が必要なのか?
そんなことを考えている。

やはり、負の連鎖を断ち切るには、相手を理解することしかないのかもしれない
決してきれいごとではなくて。

そんなことを思いながら、今日はシンガポールイスラム教徒の人たちと食事をしながら、その価値観に触れようと思う。