ツイッターから距離を置いたら情報ジャンキーを卒業して頭使う時間が増えた
僕がツイッターのアカウントを作ったのは、2011年3月11日。
きっかけはもうすぐ丸4年になる東日本大震災。
その後も、僕は、ニュース、ネタ系記事、ハウツー系などの情報収集はツイッター(ときどき Facebook)で行っていて、異動時間や空き時間にスマホでチェックしたり、職場や家ではPCでチェックしたりと、時間があれば情報を収集する「情報ジャンキー」となっていた。
東日本大震災をきっかけに、常に最新の情報に触れていたいという気持ちが強くなったもの、僕が、情報ジャンキーとなっていた背景だ。
だけど、いつしか、最新の情報に常に触れておかなきゃという義務感に変わっていった。
例えば、朝にツイッターをチェックしていなくて、夜にチェックしたとする。そうすると一日分のタイムラインはものすごい量で追いつかない。
そうなると焦りを感じる。だから、こまめにツイッターをチェックする。
そんな義務感。
そんな中、僕は仕事を失い、お金もない状況になった。
毎月の費用が負担になったので、使っていたスマホも解約した。
そうすると、これまでのようにこまめにツイッターをチェックできなくなった。
最初は、こまめにチェックできなくなったことに焦りを感じていたけれど、だんだんそのことに慣れてきた。
そして、結果的に僕は、ツイッター経由で情報を仕入れることを1日か2日に一度に減らしていた。当然、情報に触れる時間、そして量が激減した。
だけど、このことが僕によい効果をもたらすことになった。
仕入れる情報が少なくなった分、仕入れた情報について熟考するようになったから。
これまでは、情報を仕入れることに一生懸命で、情報をたくさん仕入れていることで自分で考えた気になっていた。そして、知識が増えている気がして、頭を使っている気がしていた。
だけど、たくさんの情報は、その一つ一つの理解は曖昧で、一つ一つの情報について掘り下げて考えることもなかった。また、ほとんどの情報は一週間もすれば忘れていた。僕の知識となることもなかったし、当然ながら頭も使うこともなかった。
これは、情報を仕入れて処理する僕の脳のスペックの問題かもしれないが、明らかに自分の情報処理能力を超えていた。
おそらく、たくさんの情報に触れ、素早く処理し、かつ熟考することができる人は、情報ジャンキーでも全く問題ないだろう。そういう人はかなりの数で存在していると思う。
だけど僕は、情報処理能力が秀でているわけではない。むしろ劣る。
だから、自分の処理能力に合わて仕入れる情報の量を調整し、自分で考える余力を作っておく必要がある。情報を仕入れていることで終わってしまっている時点で、処理能力を超えていた。
実は、この自分の処理能力に合わせて仕入れる情報量を調整し、自分で考える余力を作ることは、大学生の頃や社会人の3年目くらいまではできていたと思う。
自分が情報処理能力が劣ることは、 受験を通じて、また同期と比較して感じていた。
仕入れる量を増やし過ぎると完全に消化不良になって、知識とならないし、そもそも考えることもできない、だから、量は減らして、熟考することを優先していた。
振り返ってみても20代の頃の方が、30代によりもよく自分の頭で考えていたと思う。
昔できていたことが、いつしかできなくなっていたことをとても残念に思う。
だけど、 ツイッターと距離を置いたことで、情報ジャンキーを卒業して、以前のように再び頭を使う時間が増やせたことは非常によかった。
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少し前に、スマホをやめたことで不便になったけれど、頭を使うようになったということを実感した。そして、今回ツイッターと距離を置いたことで、これまで自分がいかに頭を使ってこなかったかが、よく分かった。
頭を使わなかったことは、今の僕が仕事を失って、お金がなくて、人脈がなくて、友達がいない共通した原因の一つだろう。
6年間使ってきたスマホやめたら不便になった。だけど頭を使う毎日に。 - 人生再起ブログ