人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

みんな不満を誰かに吐き出したい

生活していれば、不満なことは何かと多い。

僕は今、仕事を探しているところで、仕事をしていないから、よくある会社の不満はない。それでも不満はある。

 

そんな、きっと誰もが持っているだろう「不満」。いつもいつも不満ばかり言いたくないけれど、たまには吐き出したい「不満」。みんなを誰に吐き出しているのだろう?

 

昨日、カフェで隣に座っていた女性は、同僚らしき人に会社の不満を吐き出していました。「仕事の量が多すぎる」「後輩が成長意識なくて困る」「15年も働かないと旅行券貰えない(どうやら勤続15年で旅行券が貰えるらしい)。5年にしてほしい」などなど。

 

彼女のように、会社の同僚や上司に吐き出すかもしれない。また、ある人は友達かもしれない。恋人かもしれない。家族かもしれない。不満の種類によってはその全ての人に吐き出しているかもしれない。

あるいは、人に吐き出すのではなくて、自分の中で消化している人もいるかもしれない。僕にはとてもできないけれど。

 

僕は不満の種類に関係なく、たいていは友達に吐き出すことが多かった。

仕事のことも、(当時いた)彼女のことも、その他のことも不満を吐き出したい時は、友達に吐き出していた。

 

友達に吐き出していた理由は、2つ。

■ 会社ではむしろ不満を「吐き出される」側だった

■ 友達は利害関係でなく、心置きなく吐き出せた

 

 僕は、会社では、同僚や部下、そして上司の不満を受け止めることが多かった。どの会社でもそうだった。いつも社内のクレーム処理担当みたいな役回りだった。

「こいつは聞いてくれるだろう。俺の私の不満を受け止めてくれるだろう」という印象を僕に持っていたのかもしれない。まぁ、言い換えればこの点は僕の強みかもしれないけど。

 

不満を聞くときは、スタンスが重要。

その不満に例え「ん?それは君の方がおかしくないか?」という部分があったとしても、そこを突っ込んではいけない。また不満を理論的に解釈して指摘をしてはいけない。

とにかく「おお、それは大変だ」「君が言っていることはよく分かる」と全面的に受け止めることが大切。相手の見方になっていることを伝える。

その上で、相手の性格を踏まえ必要に応じて、不満を解決するための手段を提案をする。それは、時には会社への改善提案をすることになるかもしれないし、本人の行動を少し変えてみる提案をするかもしれない。

何も提案しないこともある。

 

僕が不満を吐き出す時は、相手は友達だった。

利害関係でない友達に不満を吐き出すことは、心置きなくできたし、普段はどちらかというと饒舌ではない僕も友達に不満を吐き出すときは、饒舌だったように思う。

友達には不満を聞いてもらいたい。ただそれだけ。

不満を解消するために何かして欲しいと思うことはなかった。たいていは、不満を吐き出しながら、自分の中でその解消するためのアクションを考え、最後は自分で納得して終えることが多かった。そして、また「頑張ろう」と思えた。

 

一方で友達の不満を聞くこともあった。友達の不満は利害関係のない世界の話だったから、聞くだけになってしまうことが多かったけれど、それでも不満を聞くことは嫌ではなかった。友達が不満に思うことに同情し、時に共に怒り、悲しんだりした時間は楽しかった。

 

今の僕は友達がいなくて、友達がいないことをとても困っている。その理由はたくさんあるけれど、友達がいなくて、不満を吐き出しし合うことができないところも理由の一つかなと思う。

 

不満を吐き出すだけなら、もしかしたら友達ではくて、第三者に吐き出せばよいのかもしれない。だけど、僕の場合は、誰でもよくなくて、友達に不満を聞いて欲しいんだろうなと思う。「誰か」ではなく「友達」に。

 

P.S.

僕とは違って、不満を「誰でもいいから聞いて欲しい!」というニーズもあるかもしれない。

不満を聞くこと。それがビジネスになるかもしれないですね。このエントリを書いた後に思いました。