人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

Facebookに疲れたから退会したら人脈ゼロに。だけど心地よい毎日に。

30代後半だけど仕事を失い、金がなく、友達も失い、人脈もない。

Facebookのアカウントを持って5年ほど経つ。けど最近退会した。

 

Facebookを始めた当初は、懐かしの同級生や昔の同僚にも再会できて嬉しかったし、同級生の近況や同僚の日々の投稿を見て楽しんでいた。だけど、最近は、同級生や同僚の充実している投稿を見るのが辛いし、ましてや僕は充実している生活からはかけ離れているので、充実した投稿さえできなかった。

 

10年ほど前、僕は初期のmixiGREEを使っていた。

繋がっていたのは、同級生や当時は僕にもいた友達だった。そして、どちらかというとコミュニティーで趣味や好きなもので繋がっている仲間と日記を共有していた。

その日記は、決して充実した内容ではなく、悩みや怒りなども気軽に投稿できて、お互いに励ましあったり、認め合ったりして、それなりに楽しいSNS生活を過ごしていた。

だけど、これまでSNSをやっていなかった人たちがFacebookの登場によってSNSを始めることになり、Facebookを使う人が一気に増えた。そんな時代の流れでmixiからFacebookに多くの人が移り、mixiはまるで地方のシャッター街のように徐々に使う人が減り、ついにはほとんどが使わなくなってしまった。

 

そんな中、僕もFacebookのアカウントを作り、同級生や会社の同僚などの知り合いと繋がりはじめた。Facebookでの共有形式はmixiのように日記ベースではなく、ツイッターのように短文投稿式だった。そして文章というよりは写真の共有がメイン。

 

「どこどこに行った」「なになにを食べた」「なになに参加した」「だれそれと会った」

これらの共有は、同級生や同僚が経験したことをタイムリーに知ることができて楽しかった。

だけど、Facebookで共有されることの多くは「楽しかった」「嬉しかった」「おいしかった」など、ポジティブな内容。とても充実している内容。ネガティブな内容はほとんどない。

 

そのポジティブな内容や充実している内容も最初の頃はよかったのだけど、それを5年ほど続けてみていると、疲れてしまった。

また、疲れの中には、Facebookで繋がっているといっても、微妙に距離のある同級生や同僚の投稿だからというのもあるだろう。

 

リアルの友達だったら、わざわざFacebookで共有しなくても、直接会って話せばいいし、直接話さなくても、今ならLINEで共有すればよいだろう。だけど、微妙な距離感のある人の場合は、投稿に対して何かと気遣う。「いいね」ボタンも押さなきゃっていう義務感が発生する。

微妙な距離感の人って、直接会ってのコミュニケーションでも割と気遣うのに、ネットでも気遣うのは疲れるし、辛い。

 

もちろん、Facebookは友達というより知り合いを繋ぎ止めておくためのツールだと思えば、疲れるということも「繋ぎとめるため」に必要な労力なのかもしれない。人脈を築くうえで必要なツールだと思えばよかったのかもしれない。

だけど、僕はやはり疲れて辛いのでFacebookを退会した。

 

Facebookを退会したことで、Facebookを通して緩くも保っていた同級生や同僚などの知り合いと繋がりは途絶え、もともと人脈なんてない僕が、決定的に人脈ゼロとなってしまった。

ただ、Facebookを退会したことで、気遣う疲れや辛らさは全くなくなった。知り合いの近況をチェックしないこと、自分の近況を微妙な距離感の知り合いに報告しなくてよいという心地よさを再発見している。

 

今の僕には、友達もいないし人脈もない。
だけど、もちろん友達や人脈が必要ないなんて思っていない。
友達だって人脈だって多くなくていいから欲しい。

30代後半なのに友達がいない - 人生再起ブログ

30代後半なのに人脈がない - 人生再起ブログ


だから、そもそも友達や人脈を作ることから始める必要がある。

これから友達や人脈をまたゼロから本当に作れるかどうかは分からないけれど、作った友達や人脈との関係はFacebookなどのツールは使わずに深め継続させていくようにしたいと今は思っている。