「努力しても駄目だった」と言った、プロゴルファー中嶋常幸
前回のエントリで、高校の先生を思い出したら、同じような話だけど、他にも思い出したことがあった。
今度は更に過去に遡って、小学校での出来事。
僕の通っていた小学校は、神戸市内にあった。
その小学校は公立小学校だったのだど、神戸市が新しい教育を色々とトライアルしているモデル校だった。
外国人の先生がいたり、外国人の留学生との交流会を設けたりした。
また、給食は他の学校よりもおいしいものにしたり、その効果検証目的で、何かと他の学校にはないことに取り組んでいる学校だった。
いろいろな取り組み一つに、著名な人を学校に招いて講演してもらうことがあった。
様々な著名人が講演に来たのだけど、その中で覚えているのは2名。
1985年の阪神タイガース日本一の立役者で、その後阪神タイガースの監督になるスーパースター選手だ。
真弓明信さんが、小学校に講演に来たときは、阪神が日本一になった翌年くらいだったと思う。だけど、阪神地区は、まるで昨日に日本一が決まったがごとく、日本一の余韻に浸っている頃だった。当時はバブル期だったから、なんとなく町全体が浮き足立っていたのかもしれない。
ちなみに、その後阪神ファンは、次の2003年のリーグ優勝までの18年間を1985年の日本一の余韻を感じ、ちびびち削りながら、励みにしながら、暮らしていくことになる。
僕は小学生1年生だったけれど、真弓が学校に来ると言うのは、アメリカ大統領が学校来るくらいのインパクトがあった。学校もかなり盛り上がっていた。確か、保護者もたくさん聞きに来ていたと思う。真弓明信さんが学校に来たときは、35歳くらい。
そして、講演に来た著名人でもう一人覚えてるのが、プロゴルファー中嶋常幸さん。
中嶋常幸さんは、1980年代に賞金ランキング1位に4度達成したプロゴルファー。
僕は、中嶋常幸さんの顔はテレビで見て知っていた。だけど、他にもテレビで見る
青木功さんや、尾崎将司さん(ジャンボ尾崎)さんとならぶプロゴルファーのうちの一人でしかなかった。そして、何より小学生の僕にとって、ゴルフは「おじさんのスポーツ」以上でも以下でもなかったから、中嶋常幸さんの講演も楽しみにしていたわけではない。
だから講演の内容も最初の部分は覚えていない(たぶん聞いていない)。
だけど、後半部分で、こんな話をしはじめた頃から僕は中嶋さんの話を覚えている。
「僕は、ゴルフのスイングが下手で、上手くなりたくて、がんばった。すごく頑張って努力した。たくさん練習した」
「だけど、駄目だった。上手くならなかった。自分の思うように飛ばせなかった」
「だから、また、努力した。頑張って練習した」
「だけど、駄目だった、努力したけど駄目だった」
小学生の僕は、「努力すれば上達する」「努力すればよい結果につながる」という図式は信じて疑っていなかった。勉強も習い事もスポーツも全て、努力した分だけ上達に繋がるものと信じていた。
しかし、中嶋さんは、その前提を壊す話をしたのだ。
僕にとって、とても衝撃的な話だった。だから、この話をよく覚えているのだ。
中嶋さんは、続ける。
「努力しても駄目なこともある。上手くならないこともある。だけど、努力することを止めず、僕は努力し続けた。頑張って練習し続けた」
「その結果、僕は少しずつ上手くなれた。思うように飛ばせることも増えていた。そして試合で勝つことも少しずつ増えた。」
「僕は言いたいのは、努力したからと言って必ず上手くなるわけではないけれど、努力をしなくて僕は上手くならなかったし、努力をしなくては試合で勝つこともできなかったということ。」
中嶋さんの話を聞いて、衝撃を受けた僕は、小学校から高校くらいまでは、努力しつづけることの意味を知っていたと思う。部活なんかは、同じスポーツとうフィールドだったから、中嶋さんの話で何度救われたか。
だけど、高校卒業してから、徐々に、僕は努力しなくなったように思う。もちろん全くしなかったわけではないけれど、明らかに努力しなくなった。ちょっと努力して結果に繋がらなかったら止めてしまうことが、仕事でもプライベートでも多くなった。
小学生のときに聞いた中嶋さんの話を思い出して、何事もすぐにあきらめずに、もうちょっと努力しつづけようと思った。