30代後半で、継続することの大切さを知る
この週末に和歌山県で開かれている国体を観戦しに行ってきた。
知り合いが陸上競技に出場するため、その応援で。
会場は和歌山県紀三井寺(きみいでら)市にある「紀三井寺競技場」。
大阪駅から電車で1時間ほどのところにある。
僕は中学・高校時代に陸上競技をやっていて、僕の地元の兵庫県ではいつも優勝できるほどの成績を出していた。
県大会で6位以上の成績者は、その上の大会である「近畿大会」に出場することになる。近畿大会の会場は、各県で持ち回りだったのだけど、僕が中学・高校生の頃は、この紀三井寺競技場が会場になることが多かった。
この紀三井寺競技場で、僕は高校記録やそして日本記録を目の当たりにしたこともある。そして、全国出場を懸けて戦った、自分の喜びや悲しみもある思いでの競技場だ。
たまたま知り合いの選手が和歌山国体に出場するというきっかけがあって、20年近くぶりに三井寺競技場に訪れることになった。
僕が今回応援した選手は、女子大学生だ。けれど、普通の学部ではなく医学部生。
医学部のため研修などでなかなか練習の時間を確保することが難しい。それでも時間を作って練習をして、ついには日本トップクラスの選手になった。
日本選手権でも2位になり、国体にも出れるようになった。
彼女は、中学生の時には全国クラスの選手だった。
だけど彼女は、その後、原因不明の病で練習が思うようにできなくて伸び悩んだ。
高校時代はインターハイへも出場できなかった。
そして、彼女は高校卒業後は、大学の医学部へ進学する。
「医者になる」という新たな目標を持ち、そこに向かって勉強することになった。
たいていの選手なら、高校卒業と同時に競技から引退すると思う。
けれど、彼女は競技生活を続けた。大学生になると原因不明の病の症状は消えた。そこに、本人の努力だけでなく、ご両親の尽力があったのは言うまでもない。
再び練習ができる喜びを感じながら、再び走れる喜びを感じながら彼女は練習した。忙しい勉強の合間を使って。
その結果、彼女は日本を代表する選手にまで成長した。
日本選手権でも2位になったし、国体にも出場した。
辞めずに続けていれば、失敗や挫折は通過点でしかなく、いつか良い結果に繋がる。
そんなことを実際にやってのけたのだった。
紀三井寺競技場で、思わぬ人との再会があった。
高校の後輩だった。高校の後輩は、大学でも陸上を続け、今は高校生を教えている。そして、その教え子が国体に出場したようだ。
後輩は陸上競技を続け、その道のエキスパートとなり、選手を育て結果を出した。
後輩からも継続しつづけることは大切だ、ということを知らせれる。
僕は、そんな後輩を尊敬しながら、自分のことがとても恥ずかしくなった。
僕の現状の話を後輩にする前に「それじゃあ、またな」と切り上げてしまったほど。
僕が陸上競技を高校で辞めたのは、「やりきった」感があった言えば、聞こえはいいけれど、正しくは「飽きた」からだ。陸上競技以外のこともやってみたいと思ったから。
だけど、僕は、陸上競技のようにまた没頭する「何か」を見つけられないまま、大学を卒業し、就職した。そして、6年くらい経った時、最初に入った会社を辞めた。辞めた理由はいろいろあるけれど、「飽きた」という理由が大きい。
2社目に入った会社も6年くらいで辞めた。同じく「飽きた」という理由が大きい。
なぜ「飽きた」のだろうか?「飽きた」という背景には、仕事の結果が思うように出せない、もしくは伸ばせていないということがあったと思う。入社して最初の3年くらいは否が応でもできないことができるようになるし、成績は確実に伸びるし、結果も最初よりは出せるようになる。
だけど、4年目くらいからは成長も成果もそれなりに鈍化する。僕はその状況に耐えられずに辞めたしまった。環境を変えて、新しいことにチャレンジすれば、きっと新たな成長感や達成感を得ることができるのでは、そう思っていた。だけど、成長感や達成感を得ることは、辞めて新しい環境に行くことで解消できる問題ではなかったのに。
一方で、転職することなく同じ会社に残り働き続けていた同期たちは今どうなっているかというと、思うように結果が出ない時期も仕事を続け、その後再びそれなりの結果を出し、それぞれの会社で出世し、収入が増えている。
やはり継続することが大切だということだ。
「継続は力なり」は、その言葉通りなんだと思った。
こんな当たり前のことを今更知って遅いかもしれない。
だけど、今やっていること、これからやろうとすること、どれかは必ず継続していこうと思う。