子供の頃に描いた30代後半の自分
子供の頃、30代後半の自分をイメージしたことがあった。
小学2年生の時に、学校で30年後の自分への手紙をタイムカプセルに埋めた。
タイムカプセルを開ける行事があったのだけど、都合が合わずに行けなかったのだけど、後日、手紙だけは受け取りに行った。
どんな内容を自分に書いたか、実はよく覚えていたから手紙を読むまでもなかった。
何を書いたかと言うと、「大人になったらラグビー選手になりたい」と。
僕は小学2年生までラグビーの試合を実際に観たこともやったこともなかったし、その後にラグビーをやったこともない(正確には体育の授業でやったことはあった)。
なのになぜ、「ラグビー選手になりたい」と書いたのか?
その経緯もよく覚えている。
当初、僕は30年後の自分に「大人になったらサラリーマンになりたい」と書いていた。小学2年生にしてなんて夢のない子供だったんだろうか。
サラーリマンと書いたのを見た母親から「書き直しなさい」と言われ、かと言って他になりたいことも自分の頭に浮かばず、そうこうしているうちに手紙の提出期限が明日に迫っていた。
そんな日の学校帰り、家の近所のグランドでやっていた神戸製鋼のラグビー部の練習を観て、かっこいいなと思った。だから「ラクビー選手になりたい」と手紙に書いた。
それだけだ。
30年前に自分宛に書いた手紙を見てみると、手紙は鉛筆で書かれていて、最初に書いた「サラリーマンになりたい」という文章が消しゴムで消された跡がはっきり残っていた。
30年前に未来の自分に手紙を書いていた時、こんなことを想像していた。
何の仕事をしているかはわからないけれど、何か仕事をしていて自分が父親になっていることを想像していた。子供が2人いることを想像した。子供は男の子と女の子だった。
とても具体的に想像したことをよく覚えている。
30年たった今、僕は父親になっていないし、子供もいない。
ラグビー選手どころか、サラリーマンにさえなっていなくて、仕事が見つからず無職である。
貯金もないし、友達だって一人もいない。
孤独な人生となってしまった。
こんなはずではなかった。
恥ずかしくて涙が出てきた。
もちろん、30年前の自分に対して今の自分が恥ずかしいという感情だ。
僕は、子供の頃から大志を抱いたりしなかった。
(かといって世の中を斜めに見たりすることもなかった)
ごくごく普通に働いて、少なくてもなんとか生活できる収入があって、結婚して、子供がいて、たまに友達と遊ぶような、なんの特徴もない人生を望んでいた。
だけど、今、自分はこの「なんの特徴もない人生」からも遥か遠くにいる。
普通の生活さえできていない。
普通であることが僕にはとても難しい。
だから、これから残りの人生で、全てにおいて普通であることになれなくても、いくつについて普通であるようにしていきたい。
誰かでなく自分に恥じない人生をを過ごしていきたい。