人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

30代後半だけど夢が見つかった

30代後半になって、今の自分には仕事もお金もない。人脈もなく友達もいない。

加えて夢もない。

 

仕事を見つけることが、生活の優先事項なのだけど、一向に仕事が見つからないため時間だけがたくさんある。

たいていの時間、図書館で借りてきた本を読んでいる。

当初は、ビジネス本を読んでいたけれど、最近は伝記や紀行文などで著者の生き方や価値観などに触れている。

国内外のいろんな人の人生や半生を知るで、自分の惨憺たる人生と、これからどれだけ生きられるか分からない残りの人生について考えることも増えた。 

そしてふと「僕の夢って何だろう?」を思うようになった。

それは、キャリアプランではない。もちろんライフプランでもない。夢だ。

 

以前のエントリ「子供の頃に描いた30代後半の自分 - 人生再起ブログ」でも書いたのだけど、子供の頃の僕は、ごくごく普通の人生を過ごしたがっていた。

だけど、子供の頃の夢については思い出せない。

もちろん今の僕はについては、夢なんてない。

人生の目標さえも持っていない。

とにかく仕事を見つけなければならないこともあって、人生の夢とか目標なんて言ってられない。とにかく生きるために食べるために仕事を見つけなければ。

また、30代後半にもなって「夢は何ですか?」なんてなんかムズかゆい。

だけど、いろんな伝記や紀行文やそれに類する本を読んでいると、自分の人生の夢についても考えずにはいられない。

 

そこで、僕は、子供の頃や10代、20代の頃に興味があったころを思い出してみることから、自分の夢についてのヒントを探してみることにした。

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僕は小学生の頃、登山やアウトドアに興味があった。

僕は神戸で育ち、身近に六甲山脈があり、山を身近に感じていた。

特に、登山家で国民栄誉賞を受賞した植村直己の一生を映画化した「植村直己物語

を映画館で見てからは、本格的に登山が好きになり、神戸市が小学生向けにやっていた「登山教室」に参加して、週末に六甲山をはじめとした山々を登った。

頂上まで登った時の達成感やテントで泊まったり、飯盒炊飯したりする非日常さにのめりこんでいった。

 

植村直己物語 [DVD]

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中学生になり、学校での部活が必須ということもあって、僕は割と足が速い方だったので、陸上競技部に入部した。

足が速かった理由は、明確で小学生の時に登山をして足腰が強かったから。

 

登山のためにも陸上競技部だったら体力づくりにも役立つしと、気軽な気持ちで陸上競技部に入った。

ところが、入った陸上競技部が全国でも強豪で、いろんな種目で全国一位を輩出しているとんでも部活で、当然めちゃくちゃ練習が厳しかった。

 

365日、部活漬けの日々となった。

その結果というか、僕は県で一位になったりできるレベルまではなることができた。

それなりに、陸上競技の楽しさも知った。

高校でも引き続き、陸上競技部に所属し、その代わりに登山からは離れていった。

 

だけど、中学生の時に 屋久島にある宮之浦岳(標高1900mくらい)に、高校のの時に兵庫県にある氷ノ山(標高1500mくらい)という山に登った。

共に人生で最も体力がある時期だった(一般の高校生はもちろん、高校生アスリートの中でも体力がある方だったと思う)ので、どちらの山も簡単に登ってしまった記憶がある。ほぼ駆け上がる感じで登ったと思う。

 

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大学生になり、僕は東京に出てきた。

陸上競技は高校で引退し、中学高校と陸上競技漬けだった分、大学時代は他のことをしようと思った。

 

入学当初は、キャンパスライフを謳歌しようとテニスサークルに入ってみたけれど、全く馴染めずにすぐに辞めた。

その後は、バイトを中心としながら大学の友人とカラオケしたり、ビリヤードしたり、ボーリングしたり、家でプレステしたりと、人生のモラトリアムを過ごす日々だった。

 

大学生の時に僕が興味を持ったことはバックパッカーだった。

夏休みや春休みにはたいていバックパッカーで主にアジアの国々を旅してまわった。

 

なぜ、バックパッカーに興味を持ったかというと、 バックパッカーに興味を持ったというよりは、海外の文化に触れてみたと思い、お金のない学生なので自然とバックパッカーとなり、お金がないので近隣のアジア諸国が行先となった。

 

大学1年生から2年生にかけての春休みにタイに行ったのを皮切りに、大学時代にカンボジアベトナムラオスインドネシア、マレーシア、インド、ネパールを訪れた。その国の文化に触れるのも好きだったし、その国の自然に触れることはもっと好きだった。日本には大河を観たり、大きな山を観たり、日本には生息していない動植物を観たり。どれも僕の心を惹きつけてやまなかった。

 

道中は安宿で泊まるが、なければ駅やバス停で野宿もしたりした。

今思うと、割と危険なこともあった。

 

海外に行くことが増えたと同時に一眼レフで写真を撮ることも始めた。

当時はフィルムカメラだったけど。

 

ちなみに、大学時代は運動らしい運動はしなくなってしまった。

むしろ煙草を吸い始めたりして不摂生な生活だった。

 

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社会人になり、僕はとても忙しい生活となった。
休みもほとんどなくて、心身的に疲労感の中で毎日を過ごしていた。
転職しても、なんだかんだで休みが少ない職場だった。

 

たまの休みは疲労回復のために費やすことがほとんどで、家で寝ているか、引き続き写真を趣味にしてたから、時々写真撮影で出かけるくらいだった。

 

写真は植物や空など自然を撮ることが多いし、これからの写真を見るのも好きだ。

そういえば、社会人になって15年ほどの間に、写真を撮りに何度か山にでかけ、沖縄に海の写真を撮りにいったりもした。

 

一人で過ごすことが多く、以前のエントリ「30代後半なのに友達がいない - 人生再起ブログ」にも書いた通り、僕には友達がいなくなった。

 

そして、友達がいないだけでなく、僕は特になりたいことも目指すものもなく、毎日を過ごしてきたが、結果仕事もなくなり、お金もなくなり、今にいたる。

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僕の小学生からの人生をまとめてしまえば、1000文字くらいに収まってしまうのがなんだかさみしいけれど、こんなところ。

 

子供のころ今までの自分に共通するキーワードとしては、「自然」「写真」かな。

「自然」、「写真」をキーワードに自分の夢ってあるかなと思いつつ、図書館で手に取った本がある。特に自然とか写真という括りではないけれど、山とかに自分は興味あるかもしれないと思って。

青春を山に賭けて (文春文庫)

青春を山に賭けて (文春文庫)

 

 子供のころに映画で観て知っていた植村直己
30代後半になって初めて植村直己本人の著書を読んだ。

 

結論から言うと、僕は久しぶりに大きな感動に包まれた。

そして、僕は自分が「山に登りたいんだ」とうことを知った。

 

決して植村直己に憧れてということではない。
僕はこの本を読んで自分が山に登っている姿を想像した。
僕が世界の名峰の頂きに立っている姿を想像した。

そして、世界の名峰の頂きに立っていたいと思った。

 

僕は、この書籍を読んだ後、植村直己だけでなく国内外の登山家の本を片っ端から図書館で借りて一気に読んだ。

今まで一度も感じたことのない興奮。

 

自分の人生の夢は世界の名峰の頂きに立つこと。

名峰とはどの山か?

ヒマラヤのエベレストか?北米のマッキンリーか?アルプスモンブランか?アフリカのキリマンジャロか?それともその他の山か?

 

それは今から決めようと思う。
現状からすると無謀に思える夢かもしれないけれど、夢なんてなかった自分にとって夢を持てたことはとても愛おしくさえ感じる。

 

なぜなら夢なんてなかったこの人生に夢を持てたことで、仕事もお金も友達も人脈も何もない僕の人生に、一つの「あるもの」を作ることができたから。

これはとても大きいように思う。

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別エントリで、この夢の実現に必要なお金について書いています。

30代後半で見つけた「夢」の実現に必要なお金 - 人生再起ブログ