30代後半なのに思っていることが言えなかった話
仕事関連の調べ物をするため、国会図書館に行った。
ここ1ヶ月で3回ほど訪れた。
国会図書館には、日本国内で発売・発行された全ての書籍がある。
日本の全ての知識が国会図書館に集約されていると言ってもよいかもしれない。
また、国会図書館には学術系やビジネス書、小説だけでなく、雑誌も漫画もあるから、僕は学生時代の暇な時には漫画喫茶の代わりに使ったりもした。
国会図書館のシステムは、ほとんどの書籍が書庫にあって、館内のPCで閲覧申し込みをして、受付で受け取る仕組み。申し込んでから20分くらいで受付に届く。
そのため、全ての人は館内のPCを使って閲覧したい書籍を検索して、申し込むという作業をしなければならない。
ただ、この閲覧申し込みシステムには少々癖があって、初めて国会図書館に来た人はたいてい、申し込み方法が分からずに迷う。そんな人が多いためPCコーナーには職員が巡回していて、迷っている人をサポートしてくれる。僕も、初めて来たときには職員にサポートしてもらった。
この日、僕がPCで申し込みをしていると、斜め向かい側にあるPCの席に、おじいさんが座った。見た目年齢で75~80歳くらいだった。
読みたい書籍名を書いたメモを手にして、しかし閲覧申し込みの仕方が分からずに明らかに迷っていた。そこへ、職員が「ご案内しましょうか?」と声をかける。おじいさんは、「すみませんね」と言う。
国会図書館の閲覧申し込みでは、よく見かけるシーンだった。
しかし、その後のおじいさんと職員のやり取りは、決してよくあるシーンではなかった。
職員がPCを見ながら申し込み方法を説明していると、おじいさんは、職員が説明しているよりも先に、しかも説明されているメニューボタンとは別のボタンを押している。更には説明を無視して職員に質問している。
職員はイライラした様子で、おじいさんの質問をさえぎり「お待ちください!」「私の言う事を聞いてください!」と言う。おじいさんは、「すみませんね」と言う。
再び、職員が説明しはじめ、おじいさんは、始めは職員の言う通りに進めていたのだけど、また、職員の説明よりも先に、しかも別のメニューボタンを押してエラーになっていた。
おじいさんは、少々パニックになっていた。職員のイライラは更に増えていた。
職員は、図書にしては少し声を荒げながら「私の説明を聞いてください!勝手に進めないでください!」と言った。
おじいさんは、ビックリして、「すみません。。私、耳が少し遠くて。。」
この瞬間、斜め向かいで聞いていた僕は、はっとした。そういうことだったのだ。おじいさんは耳が遠くて、職員の説明がうまく聞き取れていなかったのだ。
おじいさんは椅子に座ってPCを操作し、職員が立って説明しているので、耳の遠いおじいさんにとっては聞き取りにくかったのだろう。
最初に耳が遠いことを職員に伝えていれば、上記のやり取りはもっとスムーズにいったかもしれない。
ただ、結果的に耳が遠いことを職員に伝えたことで、問題は解決する方向に向かうはずだった。
しかし、職員は説明の仕方を変えなかった、座って説明しておじいさんの耳の近くで話すこともなく、少し大きめの声で話すこともなく、筆談で伝えることもなかった。おじさいんは、引き続き間違った操作をしている。
僕は、斜め前でその様子を見ていて、思ったことは、言うまでもなく、
「おじいさんは耳が遠いのだから、もっと耳元で説明してあげてください」
ということ。
だけど、僕はこれを職員に伝えることができなかった。なぜか。「言うのが恥ずかしい」とか、「面倒なことに関わりたくない」とか、そんな理由。
結局、職員はおじいさんの代わりにPCに向かい、閲覧申し込みを完了させた。おじいさんは、「すみませんね。。ありがとう」と言って席を後にした。
僕は、30代後半で、社会的には「いい大人」。それなのに、思っていることを言えなかった。明らかに間違っていると思ったことなのに。
最近、大人が子供に声を掛けたり、他人に注意したりしなかったことで起こった悲劇的な事件が相次いでいる。そんな事件が起こるたびに、大人の無関心さが問題になったりする。
だけど僕だって、無関心の一人になりえる。国会図書館での出来事は、思っただけで行動に移さないなら無関心と同じだなということを痛感させた。