人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

休暇を取る時に罪悪感を持つ不思議さ

 

転職して6ヶ月が過ぎた。

少し仕事や職場に慣れたきたし、ここで少し休みを取ることにした。

とは言っても土日と祝日の合間に有休を合わせて4日程度。
だから使う有休は1日だけ。

それでも、1日有休を使って4連休するだけで不思議なんだけど、罪悪感が出てしまう。

有休は従業員の権利なので、権利を行使することは何の後ろめたさもいらないはずなのに、なぜか「なんか、休みもらってすみません」的な気持ちになる。

確かに休みの間に(とは言っても1営業日だけ)何かあれば代わりに対応してもらったりするかもしれない。だけど、それはお互い様だ。

仕事を休むことに罪悪感を持つのは、僕だけでもないようだ。

旅行予約サイトの「エクスペディア」の2014年の調査でも、日本人の4人に1人が休みを取ることに罪悪感を持つという結果が出ていた。他の国に比べても多い割合のようだ。

welove.expedia.co.jp

この調査のメインテーマである「日本人の有休消化率の低さ」も、この休みを取ることへの罪悪感も影響しているとも言えるだろう。

しかし、確かに他の国に比べれば多いかもしれないけれど、4人に3人は罪悪感を持たないということだ。

僕はなぜ、4人に1人の側になってしまったのだろう?

そこで、なぜ罪悪感を持つのか考えてみた。

 

休むと和を乱すため

休暇を取るのに罪悪感を持つ、一番大きな理由がこれだ。

会社で、みんなが働いているのに、一人だけ休むと和を乱すなんて申し訳ない。

本当は、別に和なんて乱さないのだけど、「自分が和を乱しているかもしれない」という妄想だ。もはや自意識過剰なのかもしれない。だけど、こう考えていて、罪悪感を持っているように思う。

僕自身、どちらかというと、周囲に気を遣う方だと思う。だから、気を遣うことが、よりこの「和を乱すことになるかもしれない」と考えるのかもしれない。

そもそも誰かが休んだくらいで、和が乱れる会社組織なんて脆弱すぎて、生き残れないしのに。

 

休みは「結果を出した人が取れる」という空気感がある

僕がこれまでに働いてきた会社で、「結果をしっかり出している人に、休む権利がある」というブラックな考えの会社にいたことが影響している。

その会社では「そこそこしか仕事をしてないのに、休んですみません」と思ってしまう空気感があった。

結果を出さないと休めないなんて、そんな決まりはないのだけど。なんとなくの空気感。実際に、あまり結果を出せないない人が休むと「あいつ、仕事もできていないのによく休めるよね」と言う人たちが多くいた。

僕のチームで、なかなか結果に結びつかなかった部下がいて、そんな部下が2日の休暇を取ったら、別の部下が、「なんであの人の休みを許可するんですか?甘いんじゃないんですか」と僕のマネジメント能力を問われることがあった。

休みを申告した部下が頻繁に、もしくは長期の休みを取ろうとしているのなら、上司である僕にもその部下に伝えることがあったかもしれない。

しかし「たった2日の休みを許可することが甘い」という考えを持つ部下たちに、僕は怖ささえ感じたのを覚えている。この部下たちが詳細マネージャーになって時の部下は休めないだろうなと。

とは言っても、僕もこの組織にいたことで、休暇を取ることに罪悪感を持つようになった原因は多少なりあると思う。

 

休暇をもっと堂々と取りたい

僕が持つ休暇を取る時の罪悪感を減らし、休暇をもっと堂々と取りたいと思う。

堂々と取ると言っても、有休を毎年全部使うとか、長期で1ヶ月休むみたいなフランス人のような休みの取り方になるわけではないのだから。
もっと休暇を取るようにしたい。

もちろんアウトプットは落とさずに、更にあげる工夫をしながら。

これから、2ヶ月に一度は有休を取って3連休にしてみようと思う。

休暇を取れば、行きたいところややってみたいことが一あるのだから。