人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

満員の電車通勤がいよいよ苦痛になってきた

 

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スリランカの通勤電車(2005年撮影)

 

毎日の満員の電車通勤がいよいよ苦痛になってきた。
今、30代で、このまま40代、50代、60代以降も満員電車で通勤できる気がしない。

 

僕の家から職場までは45分くらいで、電車に乗っているのは30分。

だけど、朝の混雑による電車遅延の影響で、電車に乗っているのは40分くらいになる。つまり、毎朝1時間近くかけて会社に通勤している。

この1時間の通勤が、30歳を過ぎたくらいから、少しずつ辛くなってきて。

今回は、満員電車の辛さに絶えられない理由と対策を考えてみた。

 

都市圏で通勤に1時間かかるのはあたりまえ

そもそも、大都市圏には1時間かけて通勤している人なんていくらでもいるし、1時間以上、通勤に時間を掛けている人たちもたくさんいる。
40代、50代、60代の人たちも大勢いるだろう。

以下は、オウチーノの調査で、首都圏と関西圏に住む人への調査だ。

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             ※オウチーノ ビジネスパーソンの通勤時間実態調査より転載

この調査でも通勤時間1時間は平均的のようだ。

必ず座れるとか、それほど混んでいない電車での通勤だったら、1時間(電車に乗っているのは、1時間ないけど)かかっても工夫しだいで、充実させられるかもしれない。

本を読んだり、勉強したり、または頭の中を整理したりなど、何か自分のしたいことができるかもしれない。

しかし、僕が使っている通勤電車では、車内が混みすぎていて、本を読んだり考える余裕は、微塵もない。

 

そんな僕でも、20代や30代前半くらいまでは、満員電車に乗って通勤することは、「仕事の一部」、社会人として満員の通勤電車を我慢することは「当然のこと」「仕方がないこと」と考えていた。もちろん、満員電車は嫌だったけれど、そういうものという感覚だった。

今でも、僕と同じ30代や僕より年上の人たちの多くが、通勤電車は「仕事の一部」「当然のこと」「仕方がないこと」と思って、もしくは何も思わずに、満員の通勤電車に乗って、仕事場へ向かっているのだろう。本当にすごい。

 

満員の通勤電車は日本だけじゃない

日本に限らず、他の国でも毎朝、電車に乗って通勤する風景は日常だ。
世界にも満員の電車に揺られならが、毎日通勤しているわけだ。

冒頭の写真はスリランカに行った時に観た朝の通勤電車。
もはや車両に乗り切れない混みようで、日本の通勤電車の比ではない。

スリランカの隣のインドでも同じ風景があった。

また、都市鉄道のあるタイでも、通勤電車はうんざりするほどの人で溢れ返っていて、入ってきた電車に乗れずに、1つ2つの電車を待たなければならないことは日常的だ。
(だから、タイでは毎朝の少しの遅刻は全く問題にならない)

世界中で、満員の通勤電車を我慢しているのだ。

それなのになぜに、僕は30代後半になって、こうも通勤電車が辛くなってきたのか?

 

体力が奪われ、仕事の前なのに疲れるから

やはり体力的に辛いという理由がある。

僕が使っている沿線は、ここ数年で人口が増えている。

日本の人口は減っているけど、都市圏への人口流入で、毎朝の通勤電車の利用人数が、とんでもないことになっている沿線なのだ。

そんな沿線なので、最寄駅に電車が入ってきたときには、既に車内は満員に近い。

降りる人もいるから、一旦はたくさんの人が車内から出てくる。まるで砂浜に打ち付けられた波のように。そして、降りきったら、今度は引き潮のようにサーっと車内へ入っていく。その波に飲み込まれながら、車内に突進していく。

すし詰めの車内では、圧迫感に加えて、発車時と停車時に周囲の人から寄りかかられる。重い力に耐え、必死に踏ん張って、体力を奪われる。これは本当に疲れる。

そして、会社に着いたときには、仕事を始める前から既に体力を消耗している。

万全な状態で仕事をスタートを切れないことに、疑問を思うようになった。

 

圧迫感と重さに耐えるだけの乗車時間が辛い 

もし仮に、座席がある前に陣取れたら、電車が混んでいても、通勤電車の辛さはないかもしれない。座席の前パーソナルスペースが生まれるから、本を読んだりできる。

過去に何度か、乗る車両を変えたり、車内に入るタイミングを見計らって、車内の中ほどを目指したことがあった。だけど、人の防波堤に阻まれ、ことごとく散った。

結局、圧迫感と周囲から寄りかかられる重さにひたすら耐える30分~40分となる。

この時間は、体力的に辛いことに加えて、無駄な時間に思えるようになった。
何もできないし、何も考えられない時間だから。 

 

出社しなくても、仕事ができる環境がより辛く思わせる

以前の会社でも、今の会社でも同じなのだけど、貸与されているノートPCがあるため、会社の外でも作業ができる。しかも、社内ネットワークにも繋がるため、社内用システムや共有サーバーへアクセスできる。

つまり、仕事をする上での環境は、家でも近所のカフェでも会社と同じ環境が実現できているわけだ。出社する意味が、実はあまりない。

更に、僕は先方を訪問することが多いため、元々自社のオフィスにいる時間が短い。

同僚や上司も同じ動きをするので、打ち合わせは週に1回か2回くらい。
その他に必要な打ち合わせや相談は、電話かSkypeでやっている。

ますます、会社に出社する意味、ましてや朝一で出社する意味がなかったりする。
仮に朝一で打ち合わせをするために出社するにしても、週に1回か2回でよさそうだ。

そんな、仕事を社外からでもある程度進められる環境だから、30代になってから、朝に満員電車に乗って通勤するのが辛くなってきたのだと思う。

 

それでも会社は管理したいから、朝一から出社させる

社外で仕事を進められる環境があるにも関わらず、会社は、妊娠中、子育て、病気や怪我、体に障害があるなどの配慮が必要な人以外は、「定時出社」させる。

一番の理由は、管理したいからだろう。

前の会社での話だけど、家から直行したほうが効率的な訪問先があった。そのため、定時に家で仕事を始めて、時間になったら家から訪問先へ直行したいと上司に相談したら、「ダメだ、朝は一度会社に出社しろ」と言われた。

僕は、「直行がいかに効率」ということについて、上司に説明したがダメだった。

そもそも、上司は(会社は)「効率」なんてどうでもよくて、「家で作業してから直行と言って、さぼるかもしれない」という管理上の問題で、ダメだということだ。

更に、「お前の直行を許可したら、他の奴の直行も許可することになる。お前がちゃんと仕事していても、他の奴はさぼるかもしれない。だからダメだ」と言われた。

結局、朝の満員電車に乗って、1時間かけて出社し、そして30分もしないうちに、オフィスを出て、訪問先へ向かった。その時の僕は、朝の満員電車での疲労感と「仕事の時間を確実に無駄にした」という喪失感でいっぱいだった。

その後も、同じ直行の方が効率的なケースがあっても、必ず定時に出社していた。

 

満員の通勤電車の苦痛から逃れるために

仕事を家や近所でできる環境があるから、朝の満員電車に乗るまでして、出社しなくてもよいはずだけど、管理上はできない。

そうすると、満員電車の苦痛から逃れるためのアイデアは、

・会社の近くに引っ越し、電車を使わないor通勤時間を短くする

・始発の駅に引っ越し、必ず座れる環境を作る

・始発駅寄りに引越し、座れなくても車内の中ほどに立てる環境を作る

・在宅勤務ありの会社に転職する

・家の周辺で仕事を探す

・車通勤メインの街に引越し、その街で仕事をする

フリーランスになる(自宅を職場にする)

こんなところか。どれもすぐにできることではないな。

引越するような金銭的な余裕もないし、仕事も想像以上に厳しい転職活動を経て、やっとの思いで見つけたばかりだから、他の仕事が見つかるわけもない。フリーランスなんて、今の僕の市場価値では、とても無理だろう。

結局、今のところは、満員の通勤電車からは逃れれないということか。

ただ、これから先ずっと働くとしたら、解決すべき問題だと思っている。

目の前のこととしては、「金を貯める」「市場価値を高める」これをしない限り、満員電車から逃れることはできなさそうだ。