人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

30代後半だけど自分の葬式をやったら誰もこないだろう

30代後半にもなって、今の自分は、仕事もお金もない。

そして、人脈もないし友達もいない。

 

2015年も3週間が過ぎているのに、新しい仕事も見つからず、相当に焦っている。

これはもしかして、生活保護的なものに頼らなければ生きれないかもしれない。

 

もちろん、そうならないように必死に仕事探しはしているんだけど、本当に見つからないというか、書類で落ちてしまう。

自分が誰からも必要とされていないと感じるのはこういうことなのかと痛感している。自分には市場価値がないのかと悲しくなる。

 

今の僕には時間だけはたくさんある。

仕事探し以外には、映画を観たり、本を読んだりしている。
お金はないけれど、Tポイントだけは貯まっていて、そのポイントでレンタルして観ている。本は図書館で借りて読んでいる。

一日1本の映画と1冊の本を読んでいる。

心が折れている自分にとって、孤独な自分にとって、映画を観たり本を読むことは自分の感情を揺り動かす大切な機会だ。

さて、今日は「エリザベスタウン」を観た。

オーランド・ブルーム主演の映画。

エリザベスタウン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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 この映画は、僕は9年前にスリランカに行く機会があって、飛行機の中で2回ほど繰り返して観た。

 

内容は、簡単に紹介すると、主人公は仕事で大きな失敗し、仕事も恋人も失い死のうと思っていたところに、突然父の死の知らせを受ける。

告別式参加のために、故郷に帰る。

そして、故郷で知らなかった父のことを知り、また父を通じて母親のことや父の種変の人についても知り。そして自分自身について見つめ直すといった内容だ。

 

この再び映画を観て、僕は泣いてしまった。

心が弱っているからだろうと思うけれど、とにかく涙が止まらなかった。

どこに涙が出るほど感動したのかと言うと、父の葬儀のために集まった人の多さだ。

 

父親の古くからの友人や近所の人たちや仲間。
決してすごく多くはないけれど、僕は十分多く感じた。

 

僕は自分がいつか死んだ時の葬式を想像してみた。

 

今の僕には、例え僕が死んでも僕の葬式に来る人は誰もいないだろう。

そもそも僕が死んだことを知らせてもらう相手もいない。

仮にいたとしても、伝える手段がない。

 

死んだら、自分は何も分からないのだから、葬式に誰も来なくても、もっと言うなら葬式なんてやらなくてもいいだろうといういう人もいるかもしれない。

確かにそういう考えもあるだろう。むしろ、僕はむしろそう考えていた方だ。

 

だけど、実際に自分の葬式をイメージしてみて、その自分の葬式に誰もいない様子はとてつもなく寂しい。

自分は、決して多くなくてもいいから数人でいいから誰かに囲まれていたいのだろうと思う。

 

そのためには、僕は積極的に友達や仲間を作っていかなければいけない。

多くの人にとって友達や仲間を作ることなん自然にできることで、「ねばならない」と肩肘張るものではないだろう。

だけど、僕はこれまで、友達を作るにも仲間を作るにも常に受け身だったから、37歳にして初めて、自分から積極的に友達や仲間作っていくことをしないと、できるものもできないと思う。

 

いろいろ何もない中で、仕事を探すことが最優先だけど、友達や仲間をまず一人作ることも今の僕にとって優先度の高いことだ。

 

さて、友達ってどうやって作るんだっけ?

趣味かな?まずはそこからか。