人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

経営理念を声に出して読み上げる会社が多くて残念すぎる

仕事を探して数か月。

面接に落ちまくって、一向に新しい仕事が見つからない。

社会人として15年くらい働いてきたけれど、自分の市場価値の低さを痛感する。

 

さて、いろんな会社の面接を受けていて気が付いたことがある。

 

それは、経営理念やビジョンを毎朝みんなで声を出して読み上げる文化を持っている会社が割と多いこと。

 

面接で経営理念やビジョンについて質問した際に、「毎朝みんなで読み合わせています!」という答えが返ってくることが割と多い。

毎朝読み合せる会社は、定時が9時としたら、8時50分くらいから朝礼を開き、最後にみんなで読み合わせをするという。

 もっとすごい会社だと「四半期に一度、社員全員を一堂に集めて読み合わせしてます」というところもあった。

 

 毎朝声を出して読み上げる意味について、面接で恐れながらも質問してみると、

たいていは、「何を言っているんだこいつは?」という顔をしながら、

「毎朝声に出すことで、改めて自分たちの目指す姿が確認できる」という。

更に、「それに、声に出すと元気よく気持ちよく一日をスタートできる」という。

ある会社では「大きな声を出すことでストレス発散にもなる」という答えもあった。

 

「声に出すと元気よく一日が気持ちよくスタートできる」や「ストレス発散になる」なんて、もはや経営理念やビジョンは全く関係なくて、「ネタですか?」と突っ込みたくなる。

だけど、読み上げることは意味があることらしい。 

 

 僕は、経営理念やビジョンは必要だと思う。そして、これらを従業員に浸透させていくことも複数の従業員(時には何万人、何十万人)を方向づける上で、必要なことだと思っている。

僕がこれまで働いた会社でも経営理念やビジョンは明確にあり、仕事の考え方の基礎となっていた。

 

だけど僕は、経営理念やビジョンを毎朝声を出して読み上げるということは、したこともないし、しているイメージが持てない。

経営理念やビジョンは、社長や経営陣など会社のトップが、言葉や行動でメッセージとして発信し続けることで浸透すると、僕は思う。

 

もし仮に、毎朝声に出すことで経営理念やビジョンが従業員に浸透しようとするのなら、経営者の従業員へのメッセージ発信不足だと思ってしまう。

「単に経営者がリーダーシップ発揮できていないのでは?」と。

 

経理理念やビジョンを掲げることが一気に浸透したのは、リッツ・カールトンが従業員の行動指針を「クレド」という形にしたことが知れたあたりからだと思う。

多くの企業で、「ビジョンだクレド」だと騒ぎ始めたことをよく覚えている。

ザ・リッツ・カールトン :会社概要:ゴールド スタンダード

 

 リッツ・カールトンでは、従業員がクレドカードを各自がそれぞれのタイミングでチェックし、行動の指針としていた。

 だけど、なぜか日本では経営理念やビジョン(またはクレド)が「明示するもの」に留まらず「読み上げるもの」となってしまった。

 

なぜか?

 日本古来の「宣誓」の文化や「気合い」の文化や「一致団結」の文化がベースにあるからだろうか?

「声出してみんなで読み上げた方がいいよね」的な「みんな一緒に」という仲間意識からだろうか?

 

とにもかくにも、僕はこの経営理念やビジョンを声を出して読み上げることを強制する文化が苦手で、だけどそんな企業が割と多くて残念に思う。

 

そして、そんな企業で働いている人の中にも「読み上げるの面倒だな。嫌だな」と思いながら、やり過ごしている人もいるだろう。

 

そして、苦手な文化を受け入れられない、適当にやり過ごせないところが、僕が面接で落とされる一つの理由であるだろう。