自分の過去には現状を突破するヒントはない
先日、就職の面接で出身大学の近くを訪れた。
大学を卒業してから、この界隈を歩くのは初めてだった。
最寄りの駅から大学までの道が再開発されて、僕が通っていた頃にはなかった「今風の店」が立ち並ぶようになり、確実に時間が流れていることを感じさせる。
せっかく大学の近くに来たので、大学の構内に入ってみた。
大学構内に入るのも卒業以来だ。
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キャンパス内は、春休み期間だけど、リクルートスーツ姿の学生が多くいた。
就職活動が本格的にスタートしたばかりなので、みんなの顔が生き生きしている。
これから暖かい季節になり、やがて少し汗ばむ季節になり、さらに暑い季節になると、少しずつ疲労感が出てくるのだろう。
僕が学生の頃は「就職超氷河期」と言われていた。
そもそも新卒を採用していない企業も多くて、チャレンジすらできない企業もあった。
だけど、僕は「就職超氷河期」にいると言われても、そのことが大変だとか、辛いと思ったことはなかった。
「今は、就職超氷河期で大変ですね」と言われてもピンとこなかった。なぜなら、僕は「売り手市場」の就職活動を経験したことがないし、知らないから。
むしろ、いろいろな企業を学生という何にも知らない立場で見れることは楽しかった。
それでも、就職活動の真っ最中に、テレビで「就職戦線異状なし」というバブル期の就職活動をテーマにしたの映画が放送されていたのを観た時は、バブル期の学生は僕らの頃よりはもう少し気楽な就職活動だったんだろうな、とは思った。
今の学生は「売り手市場」と言われ、学生は僕らの頃よりも就職先を決めるということについては、決まりやすいのかもしれない。
だけど、バブル期であっても、超氷河期であったも、今の売り手市場であっても、基本的には学生の就職に関する悩みは変わらないと思う。
「何がしたい」とか「何に向いている」と自分の志向に悩んだり、面接で落とされて人生で初めて自分を否定される(と感じる)ことにいちいと落ち込んだり、「何にも向いていなんじゃないか」と思ったり。
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キャンパス内の校舎は、僕が通っていた頃と比べると古い校舎がなくなり、新しい校舎が増えていた。
そして、全体的に高さのある校舎が増えていた。
僕が通っていたころよりも、キャンパスから見える空が小さくなっていた。
こんなところにも、確実に時間が流れていることを感じる。
新しくなった馴染みがないキャンパスに、どこかに居心地の悪さを感じつつ歩いていると、ある校舎の1階にあるラウンジに行き着いた。
ここは、とても思い出のある場所だ。
大学の友人やその当時の彼女と、よく過ごした場所だったから。
ラウンジにはソファーがあって、授業の合間や放課後に、ソファーに座って、とりとめのない話をして過ごした。
食堂も近いラウンジだっので、ここで食事もよくした。
今のラウンジはレイアウトこそ違っていたけれど、当時と同じソファーがあって、僕に昔を思い出させる。
いや、僕は昔を思い出したくて、大学のキャンパスに踏み入れ、このラウンジに来たというのが正しい。
昔を思い出せば、仕事を失って、お金がなくて、人脈も友達も失ってしまった僕の現状を突破できるヒントが見つかるのではないかと思った。
だけど、思い出すのは、友達がこのラウンジでこんなことをやってたなとか、彼女がこんなものを食べていたこと。
そして、自分が考えていたこと。希望に満ち溢れていた自分。
だけど、それらは思い出として僕を感傷的にはするけれど、現状を突破するヒントにはならなかった。
湧き出てくるのは、会わなくなった友達や、別れてしまった彼女が、今頃どうしているだろうか?という思い。そして、今の自分が学生の時に想像していなかった状態にあることの対する自分への怒りや落胆。
僕の過去に現状を突破するヒントがないのは当然のことだった。
僕は、過去の学生時代に仕事を失ったことはないし、お金がなくなったこともないし、(決してたくさんあったわけではないが、ゼロではない)、人脈や友達だって、ゼロではなかった。
そんな過去の自分に「今の自分の問題」を聞いてみても、ヒントは出せない。当然だけど、そのことに気がつく。
学生時代の僕には学生時代の悩みがあったし、30代後半の僕には30代後半の悩みがある。
そして、今の自分が今の悩みや問題と向き合って乗り越えていくもの。自分の過去にはヒントはない。
そんなことを、大学のキャンパスで思い出に触れてみて気がついた。
いろんなものを一気に失って、過去の自分であっても何かにすがりたくなる気持ちがあったことも、過去の自分にヒントを求めた理由。
だけど、大切なことは、「今ここ」に集中し、真摯に今の問題と向き合って一つずつ乗り越えていくこと。
このことだろう。
そう思った。