人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

30代後半で人脈がある大切さを知る

僕は30代後半だけど人脈が全くありません。

20代後半くらまでは人脈はあったけれど、そのまま疎遠になり、気が付けば人脈がない状態になっていました。

 

特に30代に入ってからは僕は、人脈を作る意識が希薄で、仕事で繋がった人たちとの関係構築に積極的にならずに、人脈へは発展させませんでした。

仕事で通じて知り合った人たちとは、仕事をする上で最低限のコミュニケーションと最低限のやりとり止まりで、そこからの発展はありませんでした。

 

なぜ人脈作りに積極的にならなかったか?

理由は単純で、自分が人脈を必要としていなかったからです。

仕事でもプライベートでも人脈を必要とする場面がなかった。

人脈を使って仕事をすることや人脈を使ってプライベートで何かをする、ということがこれまでに一度もありませんでした。

 

人脈があれば、自分に何かよいことがあるか?と聞かれれば、「仕事やプライベートで人脈があれば、人脈がないよりは何かをするときにスムーズかもしれないね」と答えるくらいだったかもしれません。

 

ただ、30代後半になって、仕事を失い、仕事を探している身になった時に、人脈の大切さを知りました。

人脈は、自分が苦境に立たされた時に、唯一頼ることができる大切な財産だと。

 

例えば、仕事を失った僕は、自分の力で仕事を見つけていく必要があります。だけど、現状は想像以上に厳しく、自分の力だけでは切り開いていくことが難しい局面にあることを感じています。

そのような時、過去の仕事を通じて作った人脈の中から、自分を少しでも評価していてくれている人たちがいれば、その人たちを頼って仕事を見つけることができたかもしれません。

少なくとも可能性は広がります。

今ほど苦しまなくても次の仕事を見つけられたかもしれません。

 

最近、いくつか読んだ書籍や見た映画で、主人公が仕事を失ったり、仕事で苦境に立たされる場面は、いずれも彼らの人脈を通じてその苦境を突破していました。

チキンラーメンカップヌードルの生みの親である安藤百福さんも、仕事も財産も失うことがりましたが、彼には人脈があり、人脈を通じて新たなスタートを切ることができています。

例えば、安藤百福さんは、仕事を失った後、次の仕事としてチキンラーメンを開発することにしました。開発のための専用小屋を作る必要がありましたが、人脈を通じてすぐに作ってもらうことができました。

「小屋を作る」という何気ないことのように感じるかもしれませんが、苦境に立たされた時に、手伝ってくれる人脈があることはかなりの救いになったはずです。

 

残念ながら僕には人脈がありません。

今のこの苦境は、自分自身の力だけで乗り越えていかなけばなりません。

だけど、この苦境を乗り越え、また仕事を見つけ仕事をし始めたら、今度は人脈を作っていきたいと思っています。