人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

30代後半になり20代前半のある素敵な思い出が色あせた件

30代後半にもなると、10年以上前の20代前半の頃の思い出が輝いて見える。

特に学生時代に友達と一緒に過ごした思い出や、旅をした思い出など、今はもう会わなくなった人たちとの思い出は、とても輝いて見える。

また、今でも何かのきっかけで、ふと思い出す昔付き合っていた彼女のことも、今となっては素敵な思い出として輝いている。

 

僕が20代前半で最も素敵な思い出として記憶している出来事は、大学4年生の夏にフィリピンの山奥の村にホームステイをした時のことだ。

フィリピンのマニラからバスやジプニー(フィリピンの乗り合いバス)を乗り継ぎ2日がかりでたどり着ける村で、電気もほとんどない環境だった。不便と言えば不便だけど、学生にとっては非日常を体験できる貴重な機会だった。

その村では特に何をするわけでなく、毎日どこかの家から食事に呼ばれたりして村の人たちと交流を重ねた。

 

その村で、僕は村のある女の子と仲良くなった。彼女は地元の高校生で、こんな山奥の村にいながらにして、どこか垢抜けた大人の雰囲気がある高校生だった。身につけている服も他の村の女の子と違って都会的な印象だった。そして、彼女は、何よりも美人だった。目がぱっちりしていて、顔は小さく、足が長くて、すらっとしていた。彼女の住む村だけでなく、近隣の村からも彼女を目当てにわざわざ来る男がたくさんいたくらい。

とても不思議なことに、なぜか僕は彼女に気に入られ、いつも一緒にいることが多かった。そしていろんな話をした。日本のことや、フィリピンのことや、自分の将来の目標など。

僕は村に滞在中、彼女の写真をたくさん撮った。当時はデジタルカメラはまだ貴重でもっていなくて、フィルムカメラだった。だから、その場で撮った写真を見ることはできなかったけれど、帰国して現像してみると、彼女はまるでモデルのようだった。

彼女が僕に対して決して「Like」なんかではなく「Love」という感情があることは、鈍感な僕でもわかるくらいだった。決して、勘違いなんかではなく。

 

村を離れる時、彼女は僕と離れることが悲しくて、大泣きしてくれた。大きな瞳に涙を浮かべながら、無理やり笑顔をくれた彼女の顔は忘れられない。

僕の人生の中で、こんな美人に愛されたことはなかったし、残念ながらその後もない。だからこそ僕の20代前半の素敵な思い出として、色鮮やかにそして輝いて残っていた。

僕が帰国した後も、彼女とはしばらく文通が続いた。

だけど、僕が社会人になり、激務の毎日となってからは、徐々に文通の頻度は減り、いつしか年に1度送るくらいの頻度になっていった。そして、彼女の方も高校を卒業後に大学へ進学し、村を離れマニラに出た。

いつの間にか、手紙を出さなくなり、彼女から手紙も来なくなった。そして、彼女は僕の思い出の中の人となった。

 

それから10年。

Facebookを通じて、彼女からコンタクトがあった。

彼女は、僕が知っている彼女以上に大人な女性になっていた。僕が村で会った彼女も高校生離れした美人だったけれど、今はもう完全な大人な美人だった。

彼女は外国人と結婚し、投稿された写真を見る限り、超セレブな生活をしていた。高級な車に、プール付きの大きな庭のあるプールに、大きな部屋と大きな家具たち。

彼女は主婦をしながら、モデルの仕事をしているという。いくつかの雑誌の表紙を飾るくらいで、もしかしたらきっと、フィリピンではそこそこなの知れたモデルなのかもしれない。

僕は、期待通りな生活をしている彼女の近況にほっとし、そして、再び連絡が取れたことを嬉しく思った。

僕は当時、仕事を失ったばかりで、正直に「仕事を失った」とは彼女に言えなかった。決して、強がっていたわけではないけれど、なんだか久しぶりに連絡が取れた彼女に心配かけたくなかったから。いや、それって強がっているってことか。

 いずれにしても、僕らは久しぶりに連絡が取れたことを喜び合い、メッセンジャーを通じていろいろな話をした。彼女の旦那さんの人となりや仕事のことや、村の家族のこと、僕のこれまでのことなどなど。

 

そんな話を続けていると、彼女から相談があると言ってきた。もちろん相談に乗ると伝えると、次の瞬間にメッセンジャーを見て愕然とした。

「お金を30万円貸して欲しい」

フィリピンでの換算だと300万円ほどだ。

僕は、一気に残念な気持ちで一杯になりながらも、冷静に、なんでそんな大金が必要なのかを尋ねた。彼女は、「友達がカジノで負け、そのお金は彼女の旦那さんのお金だから、返す必要があるけれどお金がない。だから貸して欲しい」という。

もちろん、これは「友達」ではなく「彼女」がカジノで負けたということは、簡単に分かった。

僕がそんな大金は貸せないというと、「それなら、20万円でも10万円でもいい」と食い下がる。僕にはお金がないから、どのみち貸すことはできないけれど、もし貸せるだけのお金を持っていたとしても、貸さなかっただろう。

 

僕の中で鮮やかに輝いていた彼女の素敵な思い出は、一気に色あせてしまった。

僕は、Facebookをやっていたことを初めて後悔した。

Facebookをやっていて再開できた仲間や、疎遠になってしまった人との再開できたりと嬉しいこともあったけれど、思い出のままにしておいた方がよかった人まで現在に蘇り、その結果、後味の悪い現実となってしまうことだってある。

その例が、彼女であった。

僕は、それ以来彼女とは連絡を取らないようにした。理由は、何度も「お金を貸して欲しい」としつこく言ってくるから。あの彼女から10年ぶりにコンタクト取れた美人な彼女から「金を貸してくれ」なんて聞きたくなかった。

過去の素敵な思い出は、現在に蘇らせることなく素敵なままそっと輝かせおきたい。そう思った。