人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

30代後半で気がついた「職業選択の自由」と「挑戦できる機会」があったということ

30代後半だけど、仕事を失い、お金がなく、人脈もなく友達もいない。

まず仕事を見つけることが何よりも優先順位が高いのだけど、一向に見つからない。

 

折しも大学3年生の就職活動が本格的に開始したという。

リクナビマイナビがオープン初日にお約束通りシステムダウンするというプチパニックから始まる毎度の就活。

この大学生の就活システムに思うところはたくさんあるのだけど、今の僕には人のことをあれこれ意見している立場でも場合でもないので、またの機会に。

 もし、何か僕から就活生に伝えられることがあるとすれば、

「自分の価値観を明確にし、他人ではなく自分の価値観に沿って企業選択しよう」だろうか。当たり前のことだけど、僕はできなかったので。

最初の企業の選択は実はとても重要だ - 人生再起ブログ

 

さて、仕事選びで当たり前になっていることに、「どんな仕事をやってもいい」という「職業選択の自由」というものがある。

これは、憲法で保障されている基本的人権の一つだ。

具体的には、日本国憲法第22条第1項で定められいる

何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

条文を掲げたものの、僕はこの条文を目にしたのは学校で習った以来。
それくらい、「職業選択の自由」は生活の中に自然とあることなのかもしれない。事実「職業選択の自由」を意識することなんてない。

 

先日、過去に自分が撮った写真を整理していたら、バックパッカーをしていた頃の写真が出てきた。大学2年生の時の写真。
当時僕は、フィリピンのルソン島の北部にあるとても小さな村に2週間ほど滞在する機会があった。

 

フィリピンの首都マニアから悪路をバスを乗り継いで丸2日以上かかる村で、電気も全ての家には引かれていなく、温水シャワーもない。そして電話もない。大雨が降ると、周辺の村をつなぐ道路は土砂が崩れて通れなくなり孤島となる。だから、生活物資も入ってこないこともある。村人は、農業か林業で生計を立てていた。

 

 村で特にお世話になった家族に、当時高校生の男の子がいた。彼は、隣の村にある高校に通いながら、家業の農業を手伝っていた。

僕は、農作業を手伝いながら、また家でも彼とよく話をした。

 

そして、将来やりたい仕事ややってみたいことについてもたくさん話をした。なにせ高校生と大学生。たくさんの可能性がある若者だったから。

そんな彼が言ったことで印象的なことがある。

「やりたい仕事にはチャレンジしてみたいけれど、僕は農家を継がないとね。僕は、高校を卒業したら農家を継ぐんだ。家族を養うためにもね」

そして彼は続ける。

「君にはやりたい仕事にチャレンジする機会がありそうだね。正直とても羨ましいよ。仕事が選べるのは素晴らしい。だから、ぜひ君にはやりたい仕事にチャレンジしてやりたいことを必ず仕事にして欲しい」

 僕は「わかった」と彼と約束した。

 

村で彼と過ごしてから15年くらい経った。
僕はやりたい仕事にチャレンジすることなく、今に至る。
それどころか、やりたい仕事を意識することさえもしなかった。

その結果、やりたい仕事がなく、やりたい仕事に就くために挑戦することもなく、そして、出来ることもあまりない状況だ。 

 30代後半なのにやりたいことや出来ることがない - 人生再起ブログ

 

自分の意思で職業を選べるすばらしさ、そしてその仕事にチャレンジする機会があるすばらしさを大学生の僕は知っていたはずなのに、そのすばらしさや価値を、仕事を失った今になって気がついた。

 

30代後半になると、選べる仕事は減り、その仕事にチャレンジする機会は大きく減った。もしかしたら、限りなくチャレンジする機会はゼロに近いのかもしれない。もはや今さら遅いかもしれない。もう、仕事を選べる余裕さえもないかもしれない。

 

だけど、このままやりたい仕事にチャレンジしないのは、更に後悔しそうだ。

遅いかもしれないけれど、自分のやりたい仕事について素直に考え、チャレンジしてみること。

やってみたいと思う。