人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

60歳の自分を想像してみた30代後半

新しい会社での仕事が始まって早々に、名古屋まで日帰りの出張をしてきた。

だけど、今の僕には打ち合わせに参加できるほどの知識が圧倒的に足りない。そのことを痛感させられる打ち合わせだった。同行した上司と先方との話に付いていくだけで精一杯。

この感覚は、大学卒業した新人の頃に味わった感覚だった。なぜかとても懐かしい。

上司や先方の話すスピードが決して速いわけではないのに、業界用語や専門用語が飛び交うためか、一つ一つの単語が理解できないうちに、次の単語が出てくる。そしてその単語もそれも理解できないので、全体として速く話しているように聞こえる。
まるで、英語初級者がネイティブが話す英語が理解できないように。

これは本気で短期的に業界の知識を増やさないと話にならない。この連休は勉強にあてよう。ちょうど、今の僕にはどこかに行けるお金もないし。勉強しよう。

 

打ち合わせの後に、先方がお店を用意してくれていて、食事をご一緒した。

先方の一人は、60歳を過ぎた男性Tさんがお店を手配してくれた。

お店は、Tさんが30年以上も通っている寿司屋だった。お店は二代目が継いでいるようだけど、この日はTさんが来店するとのことで、Tさんに会うため先代がわざわざお店に出ていたのだった。

先代の大将とTさんとも関係も30年以上もの付き合いになる。

大将とTさんとの掛け合いは側で聞いていても面白く、まるで漫才のように息の合った掛け合いだ。間合いが絶妙だった。対象がボケで、Tさんが突っ込み。

何十年も通う行きつけのお店があって、そこの店主とも「あ・うん」の呼吸の関係。
とてもいいなと思うし、そんなお店や店主が僕にもあったら楽しいだろうなと思う。

 

僕はお酒があまり強くないのだけど、このお店で飲ませてくれた日本酒(名前忘れた!)がまるで水のように軽いお酒で、僕でも自然とお酒が進む。

お酒が進む中で、Tさんのこれまでの話になる。

Tさんは、名古屋のとある大きな企業に勤め、60歳で定年となった。名古屋を中心にね東海地方に根を張って仕事をしてきた。仕事を通じてできた人脈はとても広い。

Tさんは定年退職したけれど、周囲が黙っていない。

次々にTさんに仕事が舞い込んできていて、まだ定年退職して1年くらいなのに、既に4つの会社の代表や団体の理事をしている。そして、仕事の話をするTさんは60歳過ぎには見えない若さだった。失礼ながら見た目はもしかしたら年齢相応な感じだけど、気持ちがとにかく若い。ビジネスにおいても、これから10年後20年後やその先のことも考えている。そして、ビジネスを通じて社会を少しでも良くしようとしている。建前ではなく本気で。そのあたりが、Tさんの魅力の一つなんだろう。

 

同行した上司は翌日も別の打ち合わせがあったので、僕は先にお店を失礼して一人、名古屋から東京へ最終の新幹線で帰った。

帰りの新幹線の車中、Tさんの話やTさんが話す様子を思い出しながら、自分の60歳の自分を想像してみた。

だけど、いくら想像しても60歳の自分が想像できなかった。

きっと、それは今の僕には仕方がないことかもしれない。

本当は30代後半くらいにもなれば、少しくらいは60歳の自分を想像できるのかもしれない。これまでにある資産(市場価値、お金、友達、人脈)などを踏まえると、少しは想像できたりするかもしれない。

だけど、今の僕には市場価値が低く、お金はないし、友達もいなくて、人脈と呼べるものはほとんどない。このブログを始めた4か月前は全てにおいてゼロだった。しかし、今は仕事を見つけることがでた。自分の市場価値を高めることを意識しながら働いていこうとしている。

また、こんな僕にも興味を持ってくれる人にのブログを通じて何人かお会いし、これから繋がりを太くしていきたい人ができた。だから人脈についてはゼロというわけではない。

ただ、30代後半にしては持っているものが少なくて、そのために60歳の自分が想像できないのだ。まるで大学卒業したての新人みたいに。

 

だけど、一方で僕には何もないから割と自由に60歳の自分を設定してしまうことはできる。今の現状を無視して「60歳にこうなっていたい」という姿を。

自由に考えると、僕は、今回の出張でお会いしたTさんのようになっていたいと思った。60歳過ぎても、周囲がほっていかない存在。そんな存在にとても憧れる。

僕がTさんのような存在になるには、簡単なことではないことは分かる。
Tさんのような存在になるには、Tさんの話によると、仕事での成果を出すこと、それによって認められ、自分と一緒に仕事をしたいと思ってくれる人を増やしていくこと。そしてその人たちを大切にして、期待に応えてしていくこと。それを愚直にやっていくこと。

言葉にしてしまえば簡単だけど、簡単だからこそできなかったりする、まさに僕がそうだった。だけど、一つ一つ積み上げていくことをスタートするのが、今の僕ができることであり、やるべきことなんだろうなと思う。

ちょうど一か月前のエントリでも、一つ一つ積み上げていく大切さについて書いたところだ。

ushinattta.hatenablog.com

2か月連続で「 一つ一つ積み重ねて行くことの大切さ」を感じているのだから、これはもう僕のメインテーマなんだろう。改めてそう思った。

そして、きっとその先にTさんのような60歳に近づけるのだろう。