人生再起の記録

30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録

カーネル・サンダースは「優しいおじいさん」ではななかった

 

「クリスマスはチキンを食べる」という日本に独特の文化を作り出したケンタッキー・フライドチキン。(欧米では、クリスマスはターキーを食べる) 

その創立者は、「ケンタッキーのおじさん」こと、カーネル・サンダース

日本の小さな子供から大人まで知っている有名な外国人の一人であろう。
今でもキャラクターとして店舗の前で白いタキシードを着て立っている。

クリスマスの季節はサンタクロースの衣装を着て立っている。

僕は、子供の頃にケンタッキーロゴを見た時に、カーネル・サンダースが踊っているように見えた。ネクタイが胴体に見え、片足を上げて踊っているように見えたのだ。

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そして、彼の微笑む笑顔もあって、僕の中でカーネル・サンダースは「優しいおじいさん」という印象だった。

しかし、先日、図書館でカーネル・サンダースに関する書籍を読む機会があった。
そこには、僕が知っている「優しいおじいさん」はそこにはいなかった。

 

例えば、カーネル・サンダースは、かなりの短気だった。

・若い頃から手が出て、すぐに取っ組み合いのけんかなった。
・自分の言ったことを守らない従業員は即座にクビにした。
・何かとすぐに怒り、顔を真っ赤にして激キレ状態になった。

更に、カーネル・サンダースの口癖は、短気さゆえに驚くものだった。

・dadgummit(ほっときやがれ)
・daggone(くそくらえ)
・dammit(くそ。うるせえ)
・damned thing(この役立たず)
・hell(馬鹿やろう)
・son of a bitch(「とても書けない意味」)

あの微笑む姿からは想像できない過激な人物像にショックを受けた。
しかも、過激さを本人も認めていたというから、よりショックだ。

 

そして、もう一つショックだったのが、不倫の末の離婚と再婚。

カーネル・サンダースは、ケンタッキー・フライドチキンに関わる前に経営していたレストランの従業員と不倫をし、最初の奥さんと離婚しているのだ。

最初の奥さんは、カーネル・サンダースが18歳のときに結婚をし、その後の彼の人生が好調な時もピンチのときも、支えてくれた人だった。
フライドチキンの製法を生み出した時にも彼のそばにいたのは、最初の奥さんだった。

それなのに、従業員との親密な関係となり(しかも、他の従業員との間でも公認となっていたという)、そして最初の奥さんとの関係が険悪となり、離婚となった。

 

カーネル・サンダースは、離婚してすぐにその不倫相手と再婚している。

ケンタッキー・フライドチキンが日本や世界に広がっていく時、カーネル・サンダースと仲むつまじく歩く女性は再婚相手だった。

僕は、離婚が悪いとか再婚が悪いとは全く思わない。

だけど、僕の中では、彼の浮き沈みのある人生を一緒に歩んできた人と、65歳にしてケンタッキー・フライドチキンが生み出したと思っていたからショックだった。

 

僕の中では、カーネル・サンダースが「優しいおじいさん」なんかではなく、単なる「短気で口が悪く、けんか早い、奥さんを裏切るわがまま」じいさんとなってしまった。

 

もちろん、カーネル・サンダースは、そのような人間的には少々(いやだいぶ)問題はあったのかもしれないが、やはりそこはあのカーネル・サンダースだ。学ぶべきことがたくさんある。

例えば、カーネル・サンダースは何の関連性もない職を転々とした。
ペンキ塗り、農場、路面電車の車掌、軍隊、鍛冶屋見習い、機関士、弁護士実習生、保線作業員、プルデンシャル生命の保険営業、フェリー運行会社の経営、商工会議所の秘書、部品製造会社経営、ミシュラン・タイヤ営業、ガソリンスタンド経営、レストラン経営だ。

仮にカーネル・サンダースが今の日本にいたら、「あなたの職歴は業界がバラバラで綺麗じゃない」と判断され、とても転職はできないだろう。

 

だけど、カーネル・サンダースは紆余曲折しながらも、40代以降に、それまでの営業マンとしてのスキルと得意な料理を武器にして、レストランを始めた。

レストランで出したチキンが25年後のケンタッキー・フライドチキンへと繋がる。

仕事での紆余曲折に加え、いろんな悲劇も襲った。破産や大怪我などが、少しうまく行ったと思ったら必ず起こる人生だ。

そこから、這い上がるところは、今の僕にはとても勇気付けられる話だ。

カーネル・サンダースは、「営業」「料理」という2つの武器を作り、65歳以降に「最終的に」成功した。
遅咲きでも咲けることは素晴らしいと思うし、僕も、強みを複数作っていこうと思わせる。

 

しかし、どうだろう。

カーネル・サンダースには、学ぶべきことはあるし、勇気付けられるんだけど、どこか釈然としない。成功の一方で、カーネル・サンダースの言動によって傷つけられてしまった人たちが、気になってしまう。

そのあたりは僕の弱さでもあるのだろうけど。

カーネル・サンダースの教え 人生は何度でも勝負できる!

カーネル・サンダースの教え 人生は何度でも勝負できる!

 

 

 

稼ぐ力を身につける難しさ

今の仕事に就いて7ヶ月が過ぎた。

仕事で結果を出すことはもちろん、仕事を通じて今の僕に足らない「稼ぐ力」を身につけることに毎日必死だ。

 

これまでの社会人生活の中で、何かを売って稼ぐことはしたけれど、実は商品力やブランド力があって、実は簡単に売れていた(当時は、それでも売るのは大変だった)。

今の会社で働き始めてすぐに感じたのは、僕自身に「稼ぐ力」が圧倒的に不足していること。会社には商品力もブランド力もないし、それをカバーするだけの自分に価値があるわけでもない。

そもそも僕に「稼ぐ力」があれば、仕事を失うことも、お金を失うこともなかっただろう。失ったとしても、すぐに仕事が見つかったし、お金も得ることができただろう。

 

仕事を通じて「稼ぐ力」を身につけるために、新しい事業の担当になった。
ぼほ1人で新しいサービスを企画・開発し、トライアル販売してみているが、どれでもスケールしない規模で、このままだと事業としても成り立たない。

「稼ぐ力」はセンスなんだろうか?僕にはそのセンスがないのだろうか?

そんなことを考えながら、企画をブラッシュアップしてみたり、ターゲットを変えてみたりしてみるが、改善しない。

それじゃあ、一旦考えた企画はスクラップして、別の企画を考えてみる。だけど、既に同じようなサービスが世にはあって、それこそ知名度もないもない会社がそのフィールドで戦っていける気がしない。

それじゃあ、他社のターゲットからずらしたターゲットにしたサービスにすれば、なんとかなるかと思うが、でも今度は再びスケールしない規模になってしまう。

ますます、自分に稼ぐ力がないことを知らされる。

 

だから僕はこれからは、仕事以外でも「稼ぐ力」を身につけるために、個人的に稼ぐことをしてみようと思う。

もちろん、今の僕自信には売れる「価値」を持ち合わせていないし、お金もない。つなり資本のない状態。だから、できることは限られるけれど、「稼ぐ力」を身につけるには、実践がよいかなと思っている。

 

ちょうど1年前にお金がなく、いよいよやばくなってきたときに、僕は、Amazonヤフオクで身の回りのものを売った。

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結果は、4ヶ月間でAmazonが約19万円、ヤフオが21万円の計約40万円の利益だった。

しかし、このときは「身の回りのものを処分して現金化したい」という切羽詰った状態だったから、いずれの商品も「安く早く」売った。

出品した商品は競合が多い商品なので、安くするしか差別化ポイントはなかった。

だけど、これでは利益は出せない。

価値が高いもの・サービスを用意して販売しないとだめ。そこまでは分かった。

 

決してAmazonヤフオクというネット販売をし続けようとは思っていない(というか商品を購入する元手がない)。

Amazonヤフオクを「どういうものが価値があるのか?」という視点を持って見て、勉強してみようと思う。そして、年明けからは実践していきたいと思う。

 

人生再起ブログを始めて1年間

 

僕が、人生再起ブログを開始してから、1年が経とうとしている。

1年ほど前の11月に仕事を失い、お金も失い、友達も人脈も失った。

すぐに仕事探しをしたけれど、主に以下の要因で大苦戦した。

・直近の職場の在籍期間が短い

・転職回数が多い(30代後半で3回)

・30代後半という年齢

・30代後半に見合う経験やスキル不足 

30代後半での転職活動は、想像以上に厳しくて、新しい仕事を見つけるのに6ヶ月かかった。
その間に貯金がなくなり、その時に頼る友人や人脈もなかった。

 

1年前から変化はしたか?

そこから1年経った今、僕は、1年前との変化は、

 ・人生の失敗を受け止められたこと

 ・失敗の原因を整理できたこと

 ・自分の市場価値の低さを知ったこと

 ・身に付けるべき経験やスキルを明確にできたこと

 ・自分の人生を自分の責任で生きていこうと思えたこと

 

それぞれの変化はまだその途中だ。
例えば、身に付ける経験やスキルはまだ身についていなし、実際に行動に移せているかいるかというとそうでもない。もちろんゼロが1になってはいると思うから、全くできたいないわけではないけれど。

 

人生再起は実現できたか?

「人生を再起すること」。この言葉の意味通りのことは、できたと思う。

仕事を見つけて、働き出した。そして、一応の生活はできている。
少なくとも、金がなくて、食事ができないということもない。

だけど一方で、僕はブログを始めてから10ヵ月後に9月に「人生を再起する」というゴールを決めている。

■ 年収が前職と同額になっている※

■ 現金貯金が300万円ある ※

労働市場価値がある強みを3つ持っている

■ 個人的なことを相談できる友達が1名いる ※

■ 2週間に一度は趣味の写真撮影に出かけている ※

■ 趣味の友達が3名いる ※

■ 仕事を通じた仲間が3名いる

現時点でいずれの指標も達成率0%だ。

自分で定めたゴールなんだから、なんとか達成したいのだけど、ゴール設定してから2ヶ月とは言え、達成率0%はヤバイ。

それぞれの指標の達成時期とそれまでの計画を立てよう。

今週末、時間を作って立てようと思う。

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ブログ開設1年間の人気記事トップ5

 

「人生再起の記録」という、このブログを開始して1年が経つ。

誰かが読むためではなく、自分の整理・記録用として、始めたブログだけど、
多くの人に読んでいただいた。

ブログを読んでくれた人の中には、こんな僕に興味を持ち、コンタクトくださった方々もいて、思わぬ出会いがあった。このブログは「はてな」だけど、僕にコンタクトを取るためにわざわざ、はてなのアカウントを作ってまでしてくれる人もいた。

仕事もお金も頼るべき友人や人脈も、全て失ってしまい、孤独であった僕が、決してそのまま腐らずに、立ち上がる勇気をくれたのは、ブログを読んでくれた人たちだった。
本当にありがとうございました。

 

最初にも書いた通り僕は、このブログを自分の整理・記録用に書いている要素が強いので、これからもブログを読んでくれる人に何かを提供することはできないと思う。

もし、提供できるものがあるとしても、同じような境遇にある人へ「自分だけではない」というほんの少しの安心感くらいだろう。

だけど、自分の目的とは違って、誰かの何かに役立ったら僕もそれはとても嬉しい。

 

というわけで、このブログで良く読まれた記事を紹介したいと思う。
ブログとはそういうものかもしれないけれど、自分では意外な記事が読まれている。

 

 1.30代後半での転職は想像以上に厳しいことを痛感

この記事は「30代 転職」というワードで検索してくる人に読まれている。
僕は人材業界にいたから30代後半での転職は厳しいことは以前から割りとリアルなレベルで知っていたけど、自分で転職活動してみると厳しいことを痛感した。

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2.30代後半だけど会社をクビになった

自分が会社をクビになるなんて1ミリも想像したことがなかった僕が、実質のクビにされたという記事。「会社 クビ」という検索を通して読まれている。

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 3.30代後半の僕から大学生のあたなへ「人生失敗しないために、してはいけない3つの大学生活の過ごし方」

 僕のブログの中でめったにないメッセージ・提案系記事。
成功の仕方は知らないけれど、失敗の仕方なら知っているので書いた。

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4.30代後半だけど転職活動6ヶ月目にして仕事が見つかった

個人的には、この記事が読まれていることが嬉しい。
30代後半で転職が厳しいと言えども、景気が良くどの企業も人材不足感があったから、仕事はそれなりに見つかると思っていた。だけど現実が想像以上に厳しく、仕事が見つかったときは本当に嬉しくて、泣いた。

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5.お金がないので身の回りのものを売ってみた

意外な記事が読まれていた中の一つ。
最近は、ヤフオクAmazon以外にもスマホだけで簡単に売れるサービスも多く、身の回りのものを売る人が増えてきたのかもしれない。

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転職回数が多いと採用されない不思議な国ニッポン

 

ドイツ→フランス→シンガポール→タイの欧州・東南アジア出張を終え帰国。

年内の海外出張はこれで終わりの予定だ。
海外は好きだけど、さすがに複数の国をしかも、気温差のある国を一気に回るとそれなりに体力を消耗した。日本に着くと寒くて、思いっきり冬で驚いた。

さて、今回海外に行って現地の人と仕事をして感じたこと。
正しくは、これまでも海外に行って仕事を通じて感じていたことでもある。

 

それは転職回数が多いと採用しないニッポンって不思議だなということ。

 

現地の国で現地の人とお互いのこれまでの経歴の話になったとき、彼らは今の仕事をするまでに、30代で4回とか5回とか転職しているケースが少なくない。
全ての人が転職するわけではないけれど、転職の多さは特別なことではない。
採用のときに、転職回数が多いことが問題になることもほとんどない。

 

比べて日本では転職する際に、転職回数が多いと採用されないことが多い。

日本で「転職回数が多い」とは、20代で2回、30代で3回くらいだろう。

転職回数が多いと、書類する通らないことはよくある。

もし運よく面接まで進んだとしても、他の応募者の中に同じような経験・スキルで比較された場合。転職回数が多いとそれだけで不利になる。

 

僕も30代後半で仕事を失ってから仕事探しをしていた時、30代後半という年齢のハードルに加えて、転職回数が3回で今回が4回目ということで何度も書類で落とされた。面接に進んだとしても、転職回数の多さを懸念され落とされた。

企業側の言い分としては、「採用しても短期間で辞めるかもしれない」から。

僕の言い分としては、「採用しても短期間で辞めたくなる環境なの?」と

もちろん、僕の言い分は全く通用しないから落とされ続けたのだけど。

その結果、なかなか仕事が見つからずに、6ヶ月間無職で貯金も底を尽きてしまった。転職回数が多いだけで、自分の市場価値を下げてしまうことにショックを受けた。

 

日本の会社が転職回数が多いことを良しとしない理由は、日本では海外に比べると、選択の失敗に対しても厳しい国だからとか、勤めたら長く働いて欲しいとか、いろいろあるだろう。就社精神みたいなものがまだまだあるかもしれない。

 

だけど、これから人材不足がもっともっと加速化しする。更には、もっともっとグローバル化しする。そして人材を海外からも獲得することになるだろう。
そして、このトレンドは日本だけでなくて、先進国と言われる国は全てそうだ。

しかし、日本の多くの会社が持つ価値観では、誰も採用できないことになる。
むしろ誰も振り向いてもくれないだろう。今でも日本は既に海外人材の獲得競争では負けている。

ダイバーシティという言葉があるけれど、これは人種・性別・宗教・性的指向などを超えてお互いの強みを活かし合うこと。日本語で言うと「多様性」だ。

日本ではダイバーシティと言うと「女性活躍」が前面に打ち出されていて、対象が限定的になっているけれど、元々の目的としては上記の通り。

 

日本ではここに「働き方」「経歴」なども加えて考えてみたらどうかと思う。
いろんな人種といろんな性別と、いろんな働き方やいろんな経歴のある人がいることは、多様化する価値観であふれる市場をターゲットにする企業にとって大きな活力になると思う。

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テロが引き起こす本当の怖さ

 

2015年11月13日(金)に、フランス・パリで当時多発テロにより120人以上が犠牲になる事件が起こりました。

犠牲になった方々とそのご家族への哀悼の意を示すと共に、被害に遭われた方々へお見舞い申し上げます。

 

僕は、仕事で11月13日までパリにいました。
13日の午前中にパリを出発し、14日の早朝にシンガポールに着きました。
テロ事件のニュースは、機中で知りました。

テロの現場は、僕が宿泊していたホテルからおそらく500メートルも離れていない距離で、現場はパリ滞在中に何度も通った場所です。

僕が巻き込まれた可能性もゼロではなかったわけです。

決して遠いヨーロッパの話ではなく、個人的にもショックなニュースです。
 

 

テロが発生した背景は、「フランスがシリア攻撃に加わったからだ」とか、「アメリカがイラクに攻め入ったからだ」とか、いろいろ言われています。

いずれにしても、「やられたから、やり返す」という図式です。

シリアやISから「いつかきっと、やり返されるだろう」ということは、僕の頭のどこかには常にあったように思います。

そして、なぜ、やり返す先がパリだったのか?
その理由を想像することは簡単にできるけれど、想像ゆえに想像を超えない。
そして想像の理由は、容疑者の意図を勝手に作り上げてしまうことになりかねない。

だから、なぜパリだったのかということについては、想像までにして、言葉にはしないようにしようと思います。

 

その代わり、テロが引き起こす本当の恐さについて書こうと思います。

爆発だったり、銃などの手段で一般市民を巻き込むテロ。
今回のパリでのテロも、爆弾と銃の乱射の両方によるものでした。

事件直前まで現場の近くにいた者としては、「怖い」の一言です。

しかし、テロの本当の怖さは、その事件の瞬間ではなく、事件後の人々の心境の変化ではないでしょうか?

 

この話をする上で、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロでの僕の経験が最も良いサンプルになると思います。

 

僕は、アメリカ同時多発テロが起きた日、ニューヨークにいました。

そして、ワールド・トレードセンターへの航空機の激突と、ビルの崩壊を目の当たりにしました。今でも目に焼きついています。

僕は、世界最大の都市へのテロ攻撃のその瞬間に、そこにいました。

僕は、異国へのテロだったにも関わらず、テロへの怒りという感情は帰国後に少しずつ大きくなりました。そして、その怒りの感情は、イスラム教徒へ向くようになりました。
もちろん僕は、その怒りを具体的な行動で出すことはしませんでした。

だけど、少なくともイスラム教徒に対してよい感情は持たなくなりました。

イスラム過激派だけなく、イスラム教徒全体に対して。

僕は、それまでもいくつかの国を旅して、それぞれの国で宗教に触れる場面はありました。むしろ、僕の旅は文化や宗教や価値観に触れることが目的で、日本との違いを感じを面白いと思ったり、不思議だと思ったりしました。

だから、僕は自分では、宗教というものを多少なりとも理解しているつもりだったし、それぞれの良さみたいなものも、いろんな宗教に行く先々で触れることで、多少なりとも理解しているつもりでした。

しかし、アメリカ同時多発テロの後、僕はイスラム教徒に対して、負の感情を持つようになりました。そして、それはアメリカ国内ではもっとあからさまにあったようです。
そして、負の感情が実際の行動に移されたシーンが沢山ありました。

 

テロの本当の怖さはここにあるように思います。

テロを実行した犯人の所属に対して憎悪の感情を持つようになる。
あたりまえかもしれませんが、本当に怖いことです。

犯人への憎悪ではなく、犯人も含めた人種や宗教、そして国への憎悪となる。

シリアで空爆を受けた人たちも、実行した本人ではなく、所属している人種や宗教そして国に憎悪の感情を持つ。

そして、負の連鎖が始まる。

テロには戦争のように、降伏とか、制圧がない。
テロは発生時点で終わりではなく、次の憎悪の始まり。
決して終わりのない連鎖。

どうすば、解決できるか?

今の僕には分からない。

 

しかし、僕は今、偶然なのか必然なのか、外国人医師や看護師・介護士に日本で働いてもらうための仕事にも関わっている。外国人の中にはイスラム圏の人たちも含まれる。

イスラム圏の人たちも含めて、外国人が働きやすい環境を用意するためには、どうすれば良いか?日本の病院や介護施設はどんな努力が必要なのか?
そんなことを考えている。

やはり、負の連鎖を断ち切るには、相手を理解することしかないのかもしれない
決してきれいごとではなくて。

そんなことを思いながら、今日はシンガポールイスラム教徒の人たちと食事をしながら、その価値観に触れようと思う。

35歳転職限界説なんて関係ない「医師」「看護師」という何歳でも転職できる世界

 

僕は、今医療・介護関連の会社で働いている。

医療も介護は課題だらけの業界なのだけど、人材不足と言われているサービス業の中でも、特に人材不足が深刻な業界。

なぜなら、医療や介護の現場は、飲食店のように「人手不足なら営業休んだり、最悪な場合は閉店する」では困る世界。何しろ命に関わるから。

それでも、介護の人材不足は、運営のオペレーションの改善で人手不足を多少改善できるかもしれない。例えば、高齢者を運ぶ際に2人が必要なところを、ロボットアームを導入することで、1人で済む様にするとか。

だけど、医療の現場は、介護に比べると機械化が難しい世界。
調剤や薬局の世界は、機械化ができるかもしれなけれど、医師や看護師など手術や治療をする仕事は効率化しにくい。

 

日本が、超高齢化社会になり、病院にかかる人が増えてきたことで、医師も看護師の不足が無視できないくらいになってきた。
そして、それに連動して医師や看護師は引く手あまたで、一般企業に勤めている人間からすると、転職は、超気軽で超簡単だ。

職場の人間関係が嫌だったらすぐに辞めて、次の仕事を探してすぐに見つかる。
また、家族の転勤や子育てなどの事情で辞めても、次の仕事が見つかる。
これらは、年齢に関係なくできる。

先日も55歳の看護師が、「職場の人間関係が嫌だ」という理由で辞め、次の病院を2週間くらいで決めた。

 

病院側の採用基準は、「どの専門で、どんな仕事を、何年経験してきたか」が主なもので、年齢とか、結婚しているとか、子供がいるとかは、あまり関係ない。

もちろん病院によっては、最終的な採用判断として、諸条件はあるだろうが、少なくとも一般企業のように年齢や性別だけで、書類で落とすということはない。

先日、ある病院が採用した看護師は、28歳と48歳と54歳だった。
年齢は確認はしたけれど、スキルと経験だけで採用したという。

 

僕は、1年前に30代後半で無職になってしまい、就職活動をしていた。
年齢で書類選考や面接を驚くほど落とされ続けた。年齢だけが落とされる理由ではなくて、前職の在職期間が短いなどの理由もあったけれど、年齢は理由の一つだった。

「年齢なんかでラインを引くなよ。何ができるかをしっかり見てくれよ」と何度も思ったけれど、それが現実だった。企業は。30代後半の転職希望者をみる目が厳しい。

そんな、35歳以上の転職の厳しさを身をもって感じているだけに、医師や看護師の転職のハードルの低さに驚いた。

 

しかも、日本の医者や看護師の資格は、海外でもウェルカムなので、日本での実績は、そのまま海外でも活かせる。

ただ、だから医師や看護師の資格を取ることがいいとか、医師の看護師の仕事がいいと言いたいわけではない。医師や看護師の仕事は、その特質上、一般企業とは異なるハードワークさで、多少なりとも志がないと続けれないだろう。

だけど、転職のハードルが低いことは、結果的に働くことに集中できそうだ。

「人間関係で悩んでる。だけどこの年齢で転職しても次の仕事が見つらないんじゃないか」といった不安は、一般企業で働いている人と比べると少ないだろう。

「嫌だったら辞めればいい、だってすぐに次が見つかるんだし」が、医師や看護の世界ではあたりまえに言われていること。35歳転職限界なんて関係ない。

 

そんな医師や看護師の仕事探しの支援を通じて、「35歳転職限界」なんてない世界があることを知ると、一般企業で言われている「35歳転職限界説」って、そもそも変な話だなと改めて思う。

 

一般企業も採用しようとているポジションにはまるスキルや経験であれば、年齢に関係なく採用すればいいのにと本当に思う。

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